幸者堂
亡国の王女

第2章 世界大戦 · 第13話

グリム・ガスパール少尉

「——少尉! おい、少尉ってば! 聞いてんのか、グリム・ガスパール少尉!」 僕はハッと気がつく。眼前には黒く艶やかな肌色のミノタウロスの男が、鼻息を荒くして僕を覗き込んでいる。 「……すまない、少し遠い昔のことを思い出してたんだ」 「おいおい、大丈夫ですかい?」  僕はミノタウロスの向こうを見る。そこには小さな焚き火があって、他には僕より5歳年下の、同郷同士の若い兵士が二人タバコを吹かして思い出話をしているのが聞こえる。 「悪い悪い。で、なんの話だっけ?」 「肉が焼けたのさ。ほらあんたにも」 ミノタウロスの男は斧をぶんと持ってきて、僕の目の前に置いた。そこにはこんがりと焼けた鶏が乗っている。焚き火の上に斧を乗せて焼いたのだろう。 「ありがとう、ウルデモス。旨そうだ。君は最高だね、略奪が陸戦条約違反であることを除けば」 と僕は失笑する。 「なあに、ここらの畜産家は逃げた後さ。どうせ飢えて死ぬはずだった鶏をキュッと締めて胃袋にしまう事の何が悪いんだ」  彼はウルデモス・タイタンという30代半ばの獣人で、歳上だが階級は僕より低い。彼は頼りになった。戦場では大いに活躍した。どうすれば死なずに済むか。戦争で大事なのはいかに人を殺す事ではなく、いかに自分が死なない事と言うのが彼の口癖だった。  僕は彼の焚き火を反射する黒く澄んだ目を見つめた。なんと逞しく、それでいて気持ちの良い男だろう。その巨軀に似合わぬ優しさが、僕には眩しい。  僕は鶏肉をナイフで切って、それから刺して口に運んだ。久しぶりの肉に体の芯から喜びが溢れ出す。  ピューン! と銃弾が僕らの脇を掠めた。 「火だ! 火を消せ!」 僕とウルデモスは焚き火の二人に向かって叫んだ。彼らは慌てて近場にあったバケツの水をぶっ掛けた。  けれども銃弾はしばらく撃ち込まれる。僕らは地面に伏せる。 「畜生。絶対肉だけは食ってやる」 と僕は転がった鶏を手繰り寄せて、ついた土を叩いて口に入れた。  僕らは匍匐してその場を離れた。なんとか農場を出ると、そこには仲間の陣地だったであろう無人の塹壕が現れた。ここならしばらく銃弾の雨を避けられるだろう。  僕がほっとすると、背後の新兵二人が我先にと駆け始める。 「お、おい! 待て!」 と僕が言い切るよりも前に、二人は滑り込む。しかしすぐに喉を押さえてむせ始め、そのまま倒れてしまった。 「ちっ! 毒ガスだ!」  塹壕にはガスマスクをしたまま倒れている兵隊の亡骸がいくつも転がっていた。 「……新型のガスで、簡易的なゴム製のマスクくらいなら浸透してそのまま神経をズタズタにしてしまうらしい。ガスは一般に空気より重いから、塹壕には溜まりやすいんだ」 「って俺に説明しても、もうおせぇよ」 「新型の防毒マスクなんてものはない。このまま迂回して、近くの農村地帯を目指そう」 「そうだな、もしかしたら味方はまだいるかもしれない」 僕らは軍用コートを泥まみれにしながら歩みを進めた。遠くからは敵の砲撃の音が聞こえた。 ---  大学を卒業した僕はその後サーベリアの支配地域の統治を任され、南方軍に配属された。それからまもなくメタリカ帝国が不可侵条約を破って侵攻してきた。連邦軍は敗北を続け、遂には僕らの小隊は孤立無援の敵陣内部に取り残されてしまったのである。  僕らは敵の目を掻い潜りつつ、味方の陣地を目指して逃げ続けていた。  僕らは農場近くの小さな街に落ち延びた。幾重にも砲弾が撃ち込まれ、この街には満足な雨除けすらない。人も動物も植物さえもなく、何もかも焼き尽くされた跡だけ。 「絶対生き延びるぞ!」 僕らは互いを励まし合って諦めずに逃げてきた。けれどもこの街に着いて地下室に転がり込む迄には、僕とウルデモスの二人だけになっていた。新兵を守れなかったのがとても悔やまれる。  地下室には蝋燭があって、僕らはライターで灯した。そこは外の惨状に反して整然としていて、いくつかの本や家具、そして愛すべき缶詰が箱詰めされていた。 「うひょー! 最高だな」 「早く開けよう!」 僕らはコートやら銃やらをそこらに放って、犬のように貪り始めた。 「なぁ、ガスパールさんよ。どうして戦争なんてするんだと思う?」 「大義とか憎しみとか色々だと思う。メタリカ人は僕ら魔人や獣人が死んだ方が世界のためになるとか思ってるらしいし」 「俺は金持ちが儲かるからだと思う。きっと俺たちの命なんて数字に過ぎないんだ。なぁガスパール、あんたには愛すべき家族はいるか? 俺にはいる。美しい雌牛の妻と、可愛らしい息子二人と娘一人だ。『パパ、パパ』と俺を呼ぶんだよ。だから死ねねぇ、ぜってぇ死ねねぇ」 ウルデモスは熱っぽく虚空を見つめる。 「僕にも。僕も生きて帰らないといけないんだ。恋人が待ってる」 僕はマルシュカの愛らしい微笑みを思い出して、目頭がじんと熱くなった。——絶対に生きてやる。 「そうか。少尉にもいるのか。てっきりあんたくらいの士官がたはまだお遊びしたい年頃かと思ったよ」 「ふふ、そうだね。でも僕は彼女と出逢えたからね。可能な限り長く一緒にいたいよ」 「素敵な愛だな」  僕らが缶詰の中身を掬って食べていると、外から誰かの走る足音がする。その砂利を踏み締める音が近づいてくると、僕らは目を合わせて音を立てずに武器を抜く。  彼は転がり込むように、窓ガラスを割って部屋に飛び込んできた。途端、一斉に僕らは飛び掛かる。 「ま、待て! こいつは味方だ!」 僕は彼の胸元に統一党のバッジが付いているのに気がつくと、ウルデモスの殴りかかろうとする肩を目一杯制止する。 「お、ホントだ。味方だ」 よく見れば彼はブタの顔をした獣人だった。 「ポーロン……?」 声をかけると獣人は怯えて丸まった格好から顔をゆっくり覗かせて、 「お、おめぇはグリムか?」 と大きな声を出した。ウルデモスはそれにピクリと驚く。 「ん? 知り合いか?」 「ああ、そうだよ。彼は僕が大学時代に懇意にしていた、港で荷下ろしをしていた男だ」 「ポーロン・シュバインっつーんだ。あんたはミノタウロスだな?」 「ウルデモス・タイタン。良かったぜ、仲間で」 ウルデモスは手を貸してポーロンが立ち上がるのを手伝う。  ポーロンは立ち上がると尻についた埃をパンパンと叩いて、それから僕らの食べかけの缶詰に目が行く。 「悪ぃ、食事中のところ邪魔しちまったようだな」 「君も食べるかい?」 「ありがてぇ。3日は食ってねぇんだ」 僕はポーロンに向かって手近にあった缶詰を放る。彼はそれを受け取るとすぐに困ったように笑った。 「流石に俺の牙でもよぉ、こいつぁちと無理だぜ」 「ならこれでどうだ?」 ウルデモスはポーロンから缶詰を引ったくると腰にぶら下がった斧を打ち付けて、器用にくり抜いて返す。 「あ、ありがとよ」 「いいってことよ」  ポーロンはそれから夢中になって缶詰を頬張る。僕はそれを温かく見つめる。 「ところでポーロン、どうして君がサーベリアで軍服を着てこんなところにいるんだ?」 「そりゃ、俺もおめぇと同じで軍に志願したからよ。メタリカとの戦争が始まると北極海の港は封鎖されちまってよ、仕事がなくなっちまったんだ。で、ムカついたしメタリカどもを殴ろうと志願したんだ。でもよ、思ったより過酷だな。だがグリム、俺はおめぇに再会できたことを喜びたいぜ!」 彼はガハハと豪快に笑い、そして僕は慌てて彼の口元を覆った。幸い外は遠くからの砲声だけで、あとは静寂だった。