幸者堂
亡国の王女

第1章 ブタルテ連邦アスタルテ市にて · 第08話

屋根裏部屋の王女

 窓の外から聞き慣れたブタルテ軍の、金管楽器の行進曲が流れてきた。  窓に近づいて通りを見下ろすと、マーガレット荘の前の通りに軍隊が一糸乱れぬ行進をしていて、歩道からは花束を持った乙女が飛び出していくのが見える。 「ふむ、統一軍か」 気が付かぬうちにイリニアも僕の隣まで来ていた。 「無警戒だな、外から見えるんじゃないか?」 「ふむ、確かに。だが誰もこんな窓を見るものはいないだろう。皆、あの派手やかな行進に目がいく」 と言いつつ、部屋の奥へ戻っていく。そして居間の本棚に目をやると、興味深そうに見ていた。 「グリム。貴様は学生と言っていたな」 「まあ、そうだけど。どうしたんだ?」 僕は自分が予備役であることはあえて隠している。見抜かれたかとどきりとした。 「軍事学もやるのか?」 イリニアは僕が図書館から借りていた『ヴァルキリー将軍の砲兵学』に目をやった。 「この本は良い。王城の図書室にもあった。私も読んだことがある」 「僕はまだ読み切ってないんだ」 「軍事学はどうして学ぶ?」 彼女はジロリと僕を見つめた。そして僕が答える前に 「いや、聞かなくとも見ればわかる。貴様も軍の関係者なのだろう? 初めからわかっていた。おそらく予備役と言ったところか? 軍に命じられて大学に通っているのか?」 と言った。 「そうだ。言わなかったのはすまない、僕は予備役で、軍の奨学生なんだ」 僕は素直に肯定することにした。 「黙っていたのは、君の不信を解きたかったからなんだよ」 「もう良い。貴様に私を害するつもりがないのはわかっている」 とかぶりを振ると、 「感謝しているぞ」 と微笑んだ。  そこにノックが3回きた。イリニアは咄嗟に寝室の、僕のクローゼットに身を潜めた。 「こんにちは。外はすごい人混みね」 入ってきたのはマルシュカだった。両手で大きな紙袋を抱えている。 「どうしたんだ、それ?」 「服よ。いつまでも彼女にボロボロの格好をさせておくわけにはいかないわ」  確かにそうだと思った。  イリニアがマルシュカの声を聞いて部屋から出てきた。彼女はボロボロのシャツに、僕のズボンを履いているだけの王女らしくない格好をしている。 「私の服と、多分サイズが合わないと思って同じ寮の他の学生からもいらなくなったやつをもらってきたの。グリム、奥の部屋を使っても?」 「もちろん、どうぞ」 と僕が答えると、二人はなんだか楽しそうに奥の部屋へ入っていった。 ---  僕がお茶を淹れて、一杯を飲み切った頃合い。  部屋から笑いとも叫びとも取れる声が聞こえてきて、そして二人は出てきた。  イリニアは先ほどまでの雑に結んだ髪ではなく、2本の三つ編みのおさげになっていた。だが残念ながら服装は僕のズボンと僕のシャツをそのまま着ている。 「着替えはどうしたんだ?」 「一番大きいものでもダメだったのよ。私のサイズじゃ合わない」 とマルシュカはこめかみを抑える。イリニアはそんな彼女を見て、困ったような申し訳なさそうな表情をしている。 「そっか、なら悪いが女物の服を新調してきてくれ。僕だと目立つからマルシュカが行くのが良いだろう。お金はここに——あったあった」 と僕は本棚の後ろ、缶に入っていたヘソクリを取り出す。実家からの仕送りを溜めたものだ。 「これで足りるか?」 と僕は100ダヴェーリエの紙幣を2枚渡す。大体一週間分の食費くらいだろうか? するとマルシュカは目を丸くして 「お、多いわ。こんなにいらないわよ。古着屋にも綺麗な服が売ってるし」 「でもイリニア王女にはそんなもの着せられないだろ」 と僕がいうと、イリニアは僕の肩に手を当てて 「構わぬ。ここにいる間は私のことは王女ではなく、ただの人間として扱ってくれてよい」 と言った。マルシュカは何も言わず頷くと 「じゃあ、いってくるわね」 と部屋を出ていった。 ---  しばらく二人で紅茶を飲みつつ、討論していると、マルシュカが帰ってきた。 「いいのがあったわ」 と嬉しそうに彼女は袋からブラウスと焦茶色のロングスカート、そしてつばの広い帽子を取り出した。 「あとは下着類と、それから予備でブラウスをもう一着買ったわ」  僕は二人を見比べる。確かにマルシュカの胸のサイズではブカブカになりそうだ。 「あ、破廉恥なこと考えたでしょう?」 マルシュカはじとっと僕を睨んだ。 「考えてない、考えてない。ささ、お二人はどうぞ、お着替えに僕の寝室を使ってくださいまし」 と僕は二人をせかした。  着替えはすぐに終わったようで、王女はまるで町娘のように極めて街に馴染んだ格好をしていた。 「帽子もよく似合うわ!」 マルシュカはとても楽しそうである。イリニアも八の字に眉を上げて一見困った様子だが、どこか楽しそうだ。 「さて、着替えも済んだことだ。昼食はいかがかな?」 「イリニアは外に出すべきではないわ」 とマルシュカが即答すると、 「いやいや、自炊だよ。このマーガレット荘には共有キッチンがある。今日は水曜日で、毎週この日は予約してあるんだ」  僕らはそういう経緯で、マーガレット荘の一階奥にあるキッチンに来た。窓は通りとは反対側にあって、イリニアが移動してもバレるリスクは十分低いだろう。すでに生鮮品は婦人が買ってきてくれていた。 「君たち、料理はしたことあるかい?」 と僕は二人に聞いた。 「私はあるわ」 とマルシュカ。 「いいや、ない。いつも王城の料理人がやってくれた」 と答えるのはイリニア。 「せっかくだからイリニアにはこの国の料理を見てもらおうかなって思ってね。僕は元々軍の後方で、配給に携わったこともあるのさ」 「それって料理とは言わないんじゃ……」 とマルシュカがこぼしたが、聞こえないふりをして 「これから僕らが作るのはキャベツときのこのシチューと、カーシャという、麦を牛乳で炊いて、バターを落とした粥だ。これが僕らの国ではソウルフードなんだ」 と僕はキャベツを床下から取り出す。  イリニアはそんなものを食べるのかといった様子でマルシュカの方を見る。 「小麦を粥に? 私の国では考えられぬことだ。小麦はパンと相場が決まっている」 「おいしいわよ?」 だがマルシュカはケロリと答える。 「とにかく食べてもらった方が早いだろう。包丁くらいは使えるだろう?」 と僕は包丁を台の上に置く。イリニアはゆっくりと近づいて包丁を手に取る。 「ふむ、殺傷力は十分だな」 「人殺しには使わないで欲しいものだが」 「ふふふ、見境なく私が暴れても誰も幸せにならぬことくらいわかる」 とイリニアは不敵な笑みを浮かべ、そして 「魔剣術をお見せしよう」 包丁をまるで剣のように構えた。すると刃先がじんわりと鈍く光り始める。  僕は驚いた。僕の知る限り、魔剣術を使うのはエリシアくらいだった。    そして彼女は 「ふん!」 と振り下ろすと、キャベツがスパッとふたつに切れた。その切れ目はとても綺麗で平だった。 「どうだ?」 イリニアは自慢げに僕の方を振り返る。  僕とマルシュカは絶句した。 「ん? どうした?」 「いや、その。凄すぎて言葉が見つからないんだ」 マルシュカは引き攣った顔をしている。 「どうした、マルシュカ?」 イリニアは彼女の顔を覗き込む。 「料理において、美は求められないのよ。特に剣術のね」 マルシュカは苦笑した。 「美しく切れたのは良いことでは?」 「これは料理のしがいがありそうだわ」 「まったくだ」 僕とマルシュカは見合った。 ---  料理は困難を極めた。イリニアは包丁の持ち方、野菜の支え方がまるでわかっていなかった。小麦の粥を作る時も調味料を測らずにドバドバと入れたので僕らは卒倒した。  なんとか出来上がった料理は焦げていて、味も変で、見た目も悪かった。だが僕らはそれが異様に面白かった。なぜだろうか? イリニアを匿う覚悟をしてから緊張し続けていたのかもしれない。この滑稽さがどうしようもなく面白かった。笑わずにはいられなかった。  僕はいつも通りゲラゲラと笑ったし、マルシュカもあはははと声を出し、イリニアは呼吸ができなくなるほどだった。 「こんなに美味しいカーシャは食べたことないよ」 「これが王女の実力だ」 その空気の異常さは、イリニアも僕の調子に合わせてくれるほどだった。僕は初めてこの時イリニアの本気で笑う姿を見た。顔にえくぼができていた。  トントン。  3人は、まるで猫が驚いた時のようにびくりとして固まる。それはノックの音だった。 「すみません、ガスパールさん。ちょっといいですか?」 と、マーガレット婦人が僕の返事よりも先に入ってきた。そしてマルシュカとイリニアを一瞥するとニコリと微笑んで 「あら、みなさんお揃いで。ガスパールさんのお友達ですね。すみません、おじゃましちゃって」 と言った。そして僕に目線をやると 「溺れてたって子は随分とお元気になりましたね。そろそろおかえりですか?」 と言った。僕はどきりとした。イリニアも立ち上がって、何かを言おうとしたが、結局言葉が見つからなかったらしい。そのまま黙ってしまった。  そんな僕らを見て、婦人は何を思ったのかゆっくりと瞬きをしてから 「そういえば、ガスパールさん。最近本が増えてきましたね。今ちょうど屋根裏部屋が空いたんですよ。お荷物の整理にちょうど良いかもしれません。もしよければお借りになってくださいませんか? お安くしますよ」 と言った。それは間違いなくイリニアが当局から望まれぬ人物であるとわかった上での発言だった。  僕が驚いていると、婦人は小さく僕に 「王党派に関係していた人間でしょう? 粛清の嵐ですものね、最近は。大丈夫です、私は何も知りません」 と耳打ちした。 「ありがとうございます、婦人」  僕はこころから感謝した。今なら婦人の靴にくちづけをしても良いとすら思えた。 ---  そういうわけで早速僕らは屋根裏部屋を使わせてもらうことにした。イリニアが一人生活するには十分な広さで、窓がふたつついている。一つは通り沿い、一方は裏手で庭が見える。  この屋根裏には使われなくなった家具なども置いてあって、その中には状態の良いベッドすらあった。おそらく婦人が見越してシーツなども綺麗にしてくれたのだろう。埃すら落ちていない。 「あのご婦人には感謝してもしきれないな」 とイリニアはふふと微笑んだ。 「そうだ、グリム。貴様に頼みがある」 「何かな?」 「お茶を買ってきて欲しい」 「茶葉かい? それなら僕の部屋から持って行って構わないけれど」 「そうじゃない。私は私として、お前たちをもてなしたいんだ」 と彼女は言った。 「屋根裏に身を潜める立場になっても、私は品格を忘れたくない。今この瞬間、私は私の居場所を得た。であれば、ここに来るお前たちにはもてなしをしなくてはならないだろう」  彼女はおそらく、王女としての誇りを失いたくなかったのだろう。たとえ町娘の格好をして、頭が天井に当たりそうなほどの穴蔵のような部屋で寝泊まりするとしても、彼女は王女であり続けようとしたのだろう。 「わかったよ、何が欲しい?」 「大煌帝国産の烏龍茶、それとマンガラ茶が欲しい。私の好みはこのあたりのお茶なんだ」 「だいぶ渋い趣味をしているのね」 とマルシュカ。僕もそう思った。マンガラ茶はオーソドックスだが、大煌帝国のお茶は重厚で芳醇な香りがするが、その分淹れるのが難しいと聞いていた。 「わかった。通りの向かいの喫茶店なら売ってるかもしれない。行ってくるよ」 と僕は屋根裏部屋を後にした。  僕は階段を降りて、婦人の部屋を横切って通りに出る。もう夕方近くの時間になってきたが、白夜の季節だからかあまり日が落ちていない。戦勝パレードはもう目の前では行われていなかった。遠く、中央通りからはまだ聞こえるのでもしかしたらまだやってるのかもしれない。  僕は車通りの切れ目を狙って反対にわたり、そして50mほど歩いてから以前マルシュカと一緒に行った喫茶店に入った。 「いらっしゃい」 と店主がいた。いつものマスターだ。 「こんにちは。今日はお茶っ葉を買いたくてきたんですが、大丈夫ですか?」 「もちろんです。何をお求めで?」  僕はイリニアに頼まれた茶葉を伝えた。マスターは「かしこまりました」というなり、拳ほどの瓶にに茶葉を詰めて、グラムを計量してから 「どうぞ」 とカウンターに乗せた。 「ありがとうございます」 と受け取る。  ちょうどその時、一人の客が入ってきた。それは異質な女だった。 「マスター。いちばん安い紅茶を一杯いただけますか。砂糖は結構です」 女は黒い修道女の格好をしていた。頭にベールをかぶっているが、灰色の髪に青いインナーカラーが入っているのが見える。修道女にしては珍しく、耳にピアスがぶら下がっているのが見えた。あまり質素さは重視されない宗派なのだろうか?  ふと目が合った。僕は咄嗟に逸らす。 「かしこまりました」 マスターはたじろぐ僕とは異なり、冷静にカップを温め始めた。  あまりジロジロと他の客を見るのも悪いし、イリニアが待っている。もう行こう。 「もし———」 修道女とすれ違う瞬間、僕に声をかけてきた。恐ろしく冷たい声に感じられた。 「よくここに来られるんですか?」 「え? ええ、まあ。近所なものですから」 僕は動揺しながら答えた。 「そうですか」  女の顔は恐ろしく整っていて、美しい。そばかすがうっすらと頬のあたりにあってチャーミングだと思った。だが光の灯っていないどんよりした黒目が僕を絡めとるように、じっと見つめていた。 「ところであなたが買った茶葉は珍しいものですね。とても素敵な趣味をしてらっしゃるのですね」 「ええ、まあ」 「あ、すみません。ワタクシは修道女ドロシア・サンクトスと申します。ついあなたに興味を持ってしまったものですから、つい呼び止めてしまいました」 とドロシアは微笑んだ。 「そうですか。それはどうも」 「もうお帰りですか? そうですよね。その様子だと、このお店は茶葉の販売もしているのですね」 と彼女は僕の持っている、瓶の入った紙袋を見た。 「そうですね、すみませんが友人を待たせているので失礼します」  僕はこの不気味な女の相手をしたくなくて、そそくさと横を抜けてドアへ足早で向かった。  ドアノブに手をかけた途端、背後から 「そういえばあなたの服についている、その灰金色の長髪はそのお友達のものですか?」 と声をかけられた。振り返ると、音もせず彼女は僕の真後ろにまで来ていて、そっと胸元についていた髪を取った。それは紛れもなくイリニアのものだった。  僕は咄嗟に 「動物でしょうか? ペットか、馬か」 と嘘をついた。 「うふふ、ドジなんですね。あなたは」 ドロシアは手を口元にあてて笑う。 「どうもありがとうございます。ではこれで失礼します」 「またどこかで」 僕はドアを開いて、そして外に出るとめいっぱい息を吸って吐いた。  ——もう会いたくないな。