幸者堂
亡国の王女

第1章 ブタルテ連邦アスタルテ市にて · 第07話

亡国の王女

 気を失っていた。僕は居間の床で眠っていたようだ。窓の外を見ればもう日はとっくに沈んでおり、電灯が黄色く通りを照らしている。人は減ったが、外は未だに戦勝記念で湧いている。  ソファの方を見るとマルシュカがスースーと鼻息を立てて眠っている。彼女も疲れたのだろう。いつもツンツンとした物言いが多い彼女だが、こうしてみるとどこか幼さが残る可愛らしい顔をしている。  うっかり見とれていると、寝室から物音がした。そうだ、僕は彼女を助けたんだと思い出した。僕はどうなったか確認すべく、ドアをゆっくり開けて覗き込む。  ベッドの上では女が起き上がってキョロキョロと部屋を見回していた。切れ長の青紫の瞳だった。焦点が合わないようだったが、僕に気がつくとピタリと止まった。そして睨みつけて 「wanischbu?」 と小さく鋭い声で言った。彼女の言葉は僕にはさっぱりだった。やはり外国人なのだろう。僕は自分に指を指して、ゆっくりと 「僕、味方、大丈夫」 とたどたどしく、単語だけで伝えた。 「僕、助ける、君」 しかし意図は通じないようで、彼女は布団を抱き寄せてじろりと僕を睨んだ。そこで今度は覚えている限りのサーベリアの単語を言うことにした。 「『こんにちは』、『花』。えーっと、そうだ! ご、『ご飯』、『ありがとう』!」 我ながら何を言ってるのかと呆れてしまう。しかし思いは通じたようで、彼女は睨むのをやめて、代わりに首をかしげた。 「僕、グリム。グリム・ガスパール」 するとようやく、彼女は合点がいったようだ。突然目つきが険しくなると、 「ふふふ……そうか。ここはブタルテ連邦だな? そして、お前は魔人だ。私を捕まえたつもりか?」 と皮肉そうに笑った。その声は高潔で低かった。どっしりとしていて、威厳が感じられた。僕の声より高いはずなのに。 「そんなつもりはない。僕は君を助けようと思ってるんだ。信じてほしい」 と僕は両の手をあげる。 「信じられるとでも? ブタルテ人。私を誰と心得る。私はサーベリア公国第一王女。イリニア・ローズ・サーベリアだぞ?」 ——サーベリア。それはここ数日嫌というほど耳にした国の名前であった。 ---  イリニアと名乗った女はベッドに背筋を伸ばして座ったまま、青紫の瞳でじっと僕を見つめた。その鋭い眼差しは、僕の心の奥底まで見透かすかのようだった。だが、それでも僕は助けようとしていることに変わりない。後ろめたいものなんてない。 「僕は学生だ。アスタルテ大学一年、法学部所属。グリム・ガスパール」 「ふふふ、面白い。まだとぼけるか。貴様の肉付きを見ればわかる。軍務の経験をしているはずだ」 なかなか信じてもらえない。  そうこうしていると 「どうしたの? グリムぅ、あの子は目を覚ました?」 と背後から、僕らの会話で目を覚ましたマルシュカが目をこすりながらやってきた。 「何者だ?」 イリニア王女はマルシュカを睨みつける。マルシュカは眼圧にたじろぐと、僕の肩を掴んで小さく 「どういう状況よ?」 と耳打ちしてきた。 「彼女はイリニア王女。サーベリアの」 「はい?」 「自己紹介をしたんだが、どうもこうも、僕らを軍の関係者だと思って警戒心をとかないのさ」 「はぁ、あなたね。いったい何を言ったのよ?」 マルシュカは呆れたようにこぼす。それをみたイリニアは 「何をコソコソと話している?」 と不機嫌そうに言った。するとマルシュカは一度深呼吸をして、自分を落ち着かせると 「Grolie, Kuin. ia isch Maruschka Dorman, e Astarthe stchudent」 と、なんとも流暢なサーベリア語で自己紹介をした。イリニアは驚いて目を丸くする。 「サーベリア語を話せるのか?」 「shukshitte. ia tlean Serberian sec joan.」 とマルシュカはお辞儀をする。僕には何を言っているのかさっぱりわからないが、母国語はイリニアの警戒心を少し緩めたらしい。そっとため息をつくと 「もう良い、お前たちに私を害する意図がないのはわかった」 と柔和な笑みを浮かべた。 「とりあえずは世話になろう。改めて、私はイリニア・ローズ・サーベリア。サーベリア王国の第一王女だ」 彼女はベッドの上にちょこんと座っているのに、どういうわけか気迫がある。  僕が感心しているとマルシュカが口を開いた。 「イリニア王女こそ、どうしてブタルテ語を話せるのですか? 私こそ、王女殿下がブタルテ語を話すとは思いもしませんでした」 「隣国の言語だ。王家の人間として学ばない手はないだろう。ところで、いまは何時だ?」 とイリニアは部屋を見まわした。残念ながら寝室に時計はない。 「もう深夜の1:00だ」 と僕は背後の食卓横の時計を見て答える。 「ふむ、この家の主人はどちらだ?」 「僕だが」 「なら、マルシュカ嬢のような令嬢が、こんな時間まで男の部屋にいても良いのか?」  するとマルシュカはハッと小さく叫ぶ。 「ああ、やっちゃった。門限あるの、私の住まい。怒られちゃうわ」 「夜も更けている。貴様、グリムと言ったな、送ってやるとよい」 「私としてもグリムには頼みたいけれど、イリニア王女を一人にするのは心許ないわ」 「心配には及ばない。私は大丈夫だ」 状況的にイリニアは健康とは言えないはずなのだが、どうにも彼女の声には説得力がある。 「なら、僕は一旦送ってくる。電気を消して、カーテンを閉めるんだ。そして静かにしててくれ」 「了解した」  それから僕はベッドの横に投げ捨てていた、砂浜で汚れたコートを羽織ると、マルシュカと共にマーガレット荘を後にした。 ---  僕らは部屋の鍵をかけ、そっと静かに一階に降りる。外に出ると夜ももう更けているというのに、酔っ払いが一人道路に横たわっていた。他に誰もいない。  僕たちは通りを進み始めた。夜のアスタルテは海からの北風が吹き付けてきて、じわじわと体温を奪ってきた。思わず僕は身を震わせる。 「八月なのに、夜は冷えるな」 「うん、そうね」 先程まで部屋でたくさん会話していたとは思えない程に、口数が減った。僕と一緒で彼女もイリニアのことで頭がいっぱいなのだろう。ポツリとマルシュカが口を開いた。 「また。明日も行くわ」 「助かる」  ガス燈が照らす道路に、真っ黒な泥の塊がある。土と馬糞が混ざってグズグズだ。うっかり踏んだら滑りそうだなと思った。 「君の部屋のほうが同性同士でいいんじゃないのか?」 僕はふと思い出して言った。 「そう思ったんだけど、私の部屋は壁が薄いし、男子の宿泊とか政治集会とかを固く禁じているために大家が見回りに結構な頻度で来るのよ」 「そっか。確かにそういうものかも知れないな」  アスタルテの中央通りを渡って、三区画ほど進んだ。だいぶ歩いた気がする。 「そういえば、そろそろ党本部に報告書を出す時期じゃなかった?」 彼女は学生運動の時に、僕が党への報告書を落としたのを契機に、奨学生の義務である報告書の存在を知っていた。別段隠さなくてもよいものではあるが、あまり皆に知られては良い気持ちはされないだろう。 「そうだね」 と僕は後ろめたい気持ちで答えた。 「私のこと、書いても良いわよ?」 「え?」 「学生生活について、もし報告するなら私と仲が良いことくらいは書いても良いと思うの。でも、密告については———」 「それについては、良い考えがあるんだ。誰も犠牲にしないよ」 イリニアについては当然報告しない。それだけでなく、誰も逮捕されない方法について、僕には妙案があった。 「そう。なら良いわ」 とマルシュカは短く頷いた。  しばらく歩いていると 「そろそろよ」 とマルシュカが言った。  この区画は道路こそ石畳だが、車道の隅には泥と馬糞が混じった塊が積み上げられて放置されている。中央通りと同じ三、四階建ての煉瓦造りの建物が多いが、こちらは漆喰が剥がれ、看板が重なり、半地下まで貸店舗に使われている。はっきりいえば、少し汚かった。  戦勝記念の興奮が覚めないのか思ったより多くの窓から明かりが漏れている。マルシュカはそんな建物の一つを指差した。 「もう、ここまでで大丈夫。ありがとう」 「ああ、じゃあまた」 「うん、イリニ……じゃなくて、彼女をよろしく」 「もちろん」 そう言うと彼女は建物の中に入っていった。僕は彼女がドアを閉めて姿が見えなくなるまで見送ると、空を見上げてため息をついた。星が綺麗だった。  僕は一人になってしまった。さて、どうしたものか。 ---  僕はゆっくり歩いて家に帰ることにした。上を見上げれば、夜空がまるで宝石箱のようにキラキラとたくさんの星々が輝いている。  家に着くと電気は消えている。マーガレット荘の正門を開けて中に入る。2階に登って自室に入ると誰もいないように静かになっている。  寝室のドアを開けるとイリニアが膝を抱えてベッドの上から窓の外を見つめていた。 「やあ、星が綺麗だね」 「私の故郷とは少し異なるが、そうだな」 「サーベリアはどんな場所だったんだい?」 「私は王都ローズマリーから出たことはなかった。中央海に面した、暖かい気候の美しい街だった。オレンジの実がなっている街路樹がたくさんあって、誰でも食べてよいことになっていた」 イリニアは遠い目をした。 「どうして君はこんなところまで来たんだ?」 仮に海に流れるとしても、サーベリアと北極海は通じていない。彼女がアスタルテ湾で溺れるなんてありえないのだ。 「拉致されたのだ、ブタルテ軍にな。王都での決戦中に飛行船で乗り付けられた」 「指揮官の名前とかはわかる?」 「ドグラ・ウルフェル大佐だ」 僕はドキッとした。ウルフェルはエリシアの上官で、村一つ焼き払うのだってなんら抵抗なく実行した冷酷な人物だと聞いたことがある。僕はまだ見たこともなかった。 「でもなんのために君を拉致するんだ?」 「さあな。知る由もない」 イリニアは遠くを見つめる。そして皮肉げな笑みを浮かべると 「しかし飛行船は墜落した。私の近衛が潜伏し、ハイジャックを試みたためだ。結果は失敗し、私も海に落ちることになった。そして貴様らに救われたようだ」 彼女はストレスを感じると、こういう笑い方をするようだ。泣くことはないのだろうか?  そしてイリニアは僕にじっと目線を戻すと、 「グリム。貴様には感謝している。マルシュカにもな。だが、巻き込むつもりもない。当局に引き渡すと良い」 「それはできないよ」 僕は即答した。 「どうして?」 「多分、ただじゃ済まないから。君が」 「そうか……」 イリニアは諦めたように俯いた。そして小さく 「感謝する。ありがとう」 と呟いたのが聞こえた。 ---  翌朝。僕は中央通り、統一党内務省へと足を運んだ。夏休みが明けてすぐの報告書の提出である。  内務省、僕はエリシア少佐の執務室に入った。彼女は3ヶ月前の大学学生運動の鎮圧に多大な貢献をしたとして、少佐に昇進していた。 「エリシア少佐、こんにちは」 と部屋に入ると、彼女はぐったりと椅子に深く座って脚を伸ばし、天井を仰いでいた。僕に気がつくとハッとして 「すまない、はしたないところを見せてしまった。ここ数日、どうにも朝がきつくてな」 とエリシアは急いで席を立ち上がって、 「お茶がある。なかなかな上物だ。せっかくだからどうだ?」 「ぜひ、一杯いただきたいと思います」 と答えると、彼女は茶器を用意し、目の前で淹れ始めた。 「どうぞ」 「ありがとうございます」 と茶器を受け取る。それは芳醇な香りのする紅茶で、茶器も極西の伝統工芸品のようだ。トカゲみたいな竜が描かれている。 「そういえば、少佐になったんですよね。おめでとうございます」 「ありがとう。でも忙しさが増えるばかりだよ」 と苦笑する。 「ところで早速だが、報告書を見せてもらえるか?」 「はい、こちらです」 と手渡す。  『統一軍奨学生報告書  学業: 必須科目は全て取得済み。先の学生運動で、怪我をしたものの学業生活に支障なし。  課外活動: 軍事学の独学。砲兵学を履修済み。秋学期は拠点防衛について研究したい。  交流人物: 研究生マルシュカ・ドルマンとの交流が充実。主に彼女の専攻する学問の話を聞かされる。他の法学部の学生とは挨拶をする程度。休日はポーロン・シュバインという港で働く獣人と、同郷出身のカットーフェンと交流多い。  党に反抗的と思われる人物とその理由: 図書館の司書の男。理由:焚書に抵抗の意思あり。 法学科のモロゾフ。理由:統一党の悪口を友人にこぼしていた。 同じく法学科のリェドフ。理由:同上。』  エリシアは読み終わると、 「ふむ、ここに書いてある不審人物は全て、逮捕、もしくは死亡済みだな」 僕の書いた人物はすでに学生運動の時に、全員捕まった人物だった。わざわざ参加していた学生の名前を調べて記入欄を埋めた。 「そうですね、すみません。自分がもっと早く見抜いていれば」 とわざとらしく僕が謝る。するとエリシアは笑う。 「構わないさ。無実の人間に濡れ衣を着せるよりマシだ」 そして耳元に近づいて小さく 「これなら誰も死なない。よく考えたな」 と耳打ちしてきた。突然で驚いて、良い匂いがしてやはり驚いて、頭がパンクしかける。  そんな僕の気持ちも知らないで、エリシアはこほんと咳払いをして 「それより、グリムにも伝えておくべきことがあるんだが」 と突然改まって切り出した。 「重要人物が搬送中に行方不明になった。アスタルテ湾上空で、飛行船が墜落したそうだ」 僕は冷や水を浴びせられたような、心臓がキュッと締め付けられるような気持ちがした。 「サーベリア関係者だそうだ。何者かが潜入して墜落させたらしい。もし心当たりのある人物を見つけたなら、すぐに報告して欲しい。党の上層部は躍起になって探している」 「この時期になっても見つからないのであれば、すでに溺死したのではないでしょうか?」 「私もそう思う。せめて水死体だけでも上がれば良いのだが、依然として目当ての人物は見つからないらしい」 とエリシアはため息混じりにこぼした。 「そんなに重要人物なのですか?」 「私もサーベリア人とだけしか聞かされていない。ただ妙なことに、この件はウルフェル大佐からの命令らしい。よほど重要な人物なのだろうな」  驚きよりも疑問が僕の頭を支配した。もしこの重要人物がイリニア王女だとして、いや、十中八九イリニアだろう。どうして彼女をウルフェルは求めるのだろうか。王女の拉致は外交問題になりかねないし、仮に逮捕するにしてももっと堂々とすれば良いだろうに、僕は一度も新聞やラジオで王女の逮捕については耳にしたことがなかった。 「不思議か?」 エリシアは僕の顔を覗き込むように聞く。 「はい、不思議です。ですが、一介の学生である僕が考えても仕方ありませんね」 と僕は笑う。するとエリシアも頬が緩んで 「そうだな、グリムは学生生活を全うすれば良いだろう」 と言った。 ---  家に帰ると、イリニアが本を読んでいた。それは僕が大学で使う法律の教科書であった。昨日のようなボサボサの髪ではなく、後ろで一本結びをしている。 「そんなもの、読んで面白いか?」 「ブタルテの法律は我がサーベリアとは少し異なる。それが興味深い。それより私のこと——」 「報告なんてしてないさ」 イリニアが不安そうに聞いてくるのを、僕は笑って否定する。 「そうか。だがどうする? このままでは我らに未来はないぞ?」  同意見だった。僕はこのままイリニアをいつまでも匿っておくわけにもいかないだろう。 ——どうしたらよいのだろう。  屋外ではサーベリア公国から引き上げてきた統一軍のパレードが始まっていた。