幸者堂
亡国の王女

第1章 ブタルテ連邦アスタルテ市にて · 第06話

ブタルテ人民委員令第58条12項「全て報告せよ!」

 僕の意識はパッと明るくなるように覚醒した。僕は見知らぬ天井の下。きれいな白いシーツの、硬めのベッドの上に横たわっていた。寝汗でびっしょりだ。  横を見るとマルシュカが僕の右手を握ったまま、寝息を立てている。  頭を起こすとピキリと脇腹が痛んで、枕に戻る。どうやら僕の周囲にもいくつかベッドがあるらしい。足下は通路になっているようで、看護師が何度も行き来している。僕の他にも怪我をした学生が大勢いるのだろう。 「フィーネの言った通りだ、やはりあれは……」 とこぼすと、 「ぐ、グリム! 起きたのね!」 マルシュカが叫んだ。起こしてしまったようだ。 「おはよう、マルシュカ。素晴らしい朝だね」 と僕は心配させまいと微笑んだ。 「おはよう、グリム」 いつもなら「馬鹿言ってるんじゃないわよ」とツッコミされそうだが、事態が事態だけに、マルシュカは優しく笑い返してくれた。 「でも今は夜の22時すぎよ」  というと、5時間ほど気を失っていたのか。 「何人が死んだ?」 「30人。負傷者は学生と警察双方で、100人を超えたみたい。最悪ね」 「そっか、そんなに死んだのか。僕を殴った奴も死んだのか?」 「どうしてそれを?」 マルシュカは驚いて聞いた。彼女の表情を見るに、やはり彼は死んでしまったようだ。 「冥府の入口かな。そんなところで、彼に会ったのさ」 と、僕は身をベッドに沈めながら答えた。至って真面目に答えたつもりが、マルシュカは冗談かなにかと受け取ったらしい。 「変な夢でもみたのね」 と言うとそれ以上は聞いてこなかった。代わりに心配そうにして 「ところで頭は痛くない? 結構出血してたけれど」 「痛くはない……もしかしてぐちゅぐちゅになってた?」 「肋骨が2本、左指にヒビが入ってるらしいわ。でも頭は無事よ」 「石頭に生んでくれた両親に感謝だな」 と僕はフンと鼻で笑った。するとマルシュカは呆れたように、そしてわずかに憤りを込めて言った。 「貴方って、本当にいつもそうよね。どうしてそんなに冗談ばかり言うの? 私、貴方が死ぬと思って本当に心配したのよ?」  僕はマルシュカの顔を見つめた。真紅の瞳がうるうるとしている。頬には涙の後があった。 「ごめんよ」 「ううん、私こそごめんなさい。怪我人の貴方が謝ることなんて、何一つありはしないはずだわ」 マルシュカはかぶりを振った。 「君こそ無事か?」 「ええ、私は大丈夫よ。ちょっと擦りむいただけ」  そこにエリシアがカツカツと歩いてやってきた。先程までの戦闘で多くの返り血を浴びたためか、制服を脱いでシャツとネクタイだけになっている。腰元の剣もどこかに置いてきたようだ。下着が透けそうで、なんだか直視するのが躊躇われる。  僕が目を覚ましているのに気がつくと、 「起きたのか、グリム!」 と嬉しそうにえくぼを作って、駆け寄ってきた。 「先程は助かりました。エリシア大尉、ありがとうございます」 「いいのだ。むしろ私がいながら、貴様をみすみす死なせるところだった。すまない」 と頭を下げる。 「それより、大尉こそお怪我はないですか?」 「ふふ、私は大丈夫だ。私の生得魔術が不死である事は、お前も知っていることだろう?」 エリシアの生得魔術は吸血鬼と呼ばれる。日光に応じて魔力が減少するが、不死身の肉体を得る。学生運動の時は夕方だったので、全力の半分ほどであの力を発揮したということになる。恐ろしい方だ。  エリシアはマルシュカを見つめた。 「ところで、このお嬢さんはお前の友人か?」 すると、ぎくりとマルシュカは顔を青ざめて固まってしまった。先程の圧倒的な実力を見せつけられたためか、怯えているのだろう。僕が代わりに紹介することにする。 「彼女は僕の友人で、神経科学研究室のマルシュカ・ドルマンです」 「ん? 報告書にはなかった名前だな」 「最近仲良くなったばかりなんです。最新版には書くつもりでした」 「そうか、ならよい」 と言うと、再びマルシュカの方を向き、柔和な笑顔を浮かべて 「改めまして、私は統一党内務省警察科のエリシア・ヴィッシ・ダルテアと申します。このグリムの上官でもあります。階級は大尉です。以後お見知りおきを」 と、普段の男口調とは打って変わった丁寧な言葉使いでお辞儀をした。それはまるで貴族の令嬢のような仕草だった。 「は、初めまして。ま、ま、マルシュカ・ど、ど、どどドルマンで、デス……」 震えすぎだ。 「よろしくお願いしますわ、ドルマンさん」 「……こ、こちらこそ。お、お、お願いします……」 今にも消え入りそうな声だった。 ---  学生運動から一ヶ月余りが経った。  僕は順調に回復し、なんとか春学期の期末試験に間に合い、夏休みに差し掛かった。とはいえ、蹴られて折れた肋はまだくっつききっていない。深く息を吸うと脇腹の奥が軋む。大学の同期達はみんな故郷の田舎に帰るそうだが、僕は故郷に戻る理由もない。ただ自堕落な生活を過ごしていた。 「おはようございます、ガスパールさん。朝食と新聞をお持ちしましたよ」 と、いつものようにマーガレット婦人が入ってきた。夏休みになっても、彼女は契約に従い僕に毎朝食事を持ってきてくれる。 「大ニュースですよ、今朝の朝刊は」 いつもゆったりしている彼女が、心なしか興奮している。僕に新聞を押し付けるように渡してきた。 「どうしたんですか。そんなに慌てるなんて、いつもらしくないではないですか」 「いいからご覧になってっ……!」 僕は訝しみつつ、新聞を受け取る。内容は 『不可侵条約締結! ブタルテとメタリカ間の平和への一歩か。  ブタルテ政府は7月20日、メタリカ帝国と不可侵条約を締結した。この条約は世界的転換点である。この条約は我々ブタルテ連邦が世界平和に希求するために必要なものである。これは我が国の外交勝利である。』 と見出しに大きく書かれ、その下に細かく条文が載っている。  メタリカ帝国は我が国の仮想敵国であり、その国と平和が実ったのなら、僕はいよいよ軍隊に復帰しなくても良くなるかも知れない。 「良かったですね、ガスパールさん」 「そうですね、平和になりそうです」 ---  しかし平和は訪れなかった。  不可侵条約締結から2週間後、ブタルテ連邦とメタリカ帝国は仲良く一緒になって間にある隣国のサーベリア公国に侵攻を開始した。抵抗虚しくサーベリア公国はわずか一ヶ月で陥落した。国王ホーセン11世は激しい戦闘で戦死したらしい。  これを受けて公国の同盟国であるセニート連合は、メタリカ帝国に宣戦布告。列強諸国が参戦する世界大戦の様相を呈した。だがブタルテには布告が来なかった。 『サーベリア東部解放! 獣人同胞に自由を。  統一政府はサーベリアの獣人奴隷を解放すること、魔人の多いペレス州の開放を常に要求してきたが公国は常に拒否してきた。  サーベリア公国が八月二日未明にメタリカ帝国に侵攻を受けたことで、治安が悪化。民族浄化運動や獣人奴隷を肉壁として用いる非人道的な活動が見られたため、我が政府は八月四日に治安維持活動のために、統一軍をサーベリア東部に派遣した。  サーベリア政府は我が国の派兵に対して、非難を繰り返しているが、我が国は断じて虐殺や強制労働を見過ごすことはしない。これは正義のための行為であり、非難される理由はないのである。  全ての世界中の人民は統一党の元に平等に扱われる。国家からの解放を目指す。よって今回の派兵は戦争ではない。ブタルテ政府はセニート連合議長シンシア・シャコンヌに対しても強く外交的説得を続けていく方針だ。』  連合がメタリカに対しては宣戦布告しても、ブタルテに対してしないのは複雑な背景があるようだ。それにしても、外交部の卓越した手腕には脱帽する。 「平和にはなりませんでしたね」 とマーガレット婦人は残念そうに僕に言った。  僕は新聞を机に放ると夏用コートを着て街に出た。中央通りに出ると、澄んだ青い空を背景に、建物の窓という窓から愛国旗がところ狭しと波打っている。紙吹雪が舞い上がり、帰還兵と若い女が踊り、キスを交わしている。軍の楽団がマーチを演奏し、通りは歓声であふれる。 「戦勝おめでとう!」 通りを歩いていると一人の女が僕に抱きついて来た。キスをされそうになり、僕は「すまない」と言って彼女を引き剥がし、人混みの中を縫うようにズカズカと歩みを進める。目的地は大学だ。借りたい本があったのだ。  大学の正門前にやってきた。そこには見慣れた桃色の髪の乙女が、何やら警備員の男と言い合っている。 「こんにちは、マルシュカ」 僕は割り込むようにして、彼女に声をかけた。 「あら、グリム。こんにちは」 「何があったんだ?」 「良いところに来たわね。せっかく来たのに、今日は戦勝記念だからもう閉めると言って聞かないのよ。貴方も説得してよ」 というので、僕は彼に向き直して 「もう閉めるんですか?」 「そうです。戦勝記念ですからね。一週間、休校になります」 「それはおかしいと思います。私たちは戦争に関係してません。ですから私たちは普段通り学ぶのが普通ではないでしょうか?」 マルシュカは言葉上では丁寧なのにプリプリと怒っている。僕はあんまりいうのも可哀想だと思いつつ、 「確か、事前に配布された資料では休校期間は八月の最終週だけだったはずでは?」 と努めて丁寧に尋ねた。すると警吏の男は困ったようにポリポリと頭を掻いて 「すみません、命令なんです」 と答えた。命令、か……  僕は彼に同情するように微笑んで、 「なら仕方ありませんね。マルシュカ。行くぞ」 と僕は彼女の袖を引っ張った。 「な! ちょっと!」  僕たちは中央通りに戻って来た。  やはり来た時と同じで、そこは人で埋まっていてとても歩きづらかった。そこで僕たちは遠回りを選び、倉庫街を抜けて海沿いの道へ出た。  そこは北風を受ける人工の砂浜で、海水浴場として使われるらしい。普段なら人がいるはずなのだが、今は誰もいない。ただザアザアという波の音とどこかベタつく海風が耳を撫でるだけだ。 「戦勝したからと言って、研究を止める理由にはならないわ」 マルシュカは突然切り出した。僕はそれに 「そうかもね」 と同意する。 「そうよ。しかも一週間も学校を閉めるそうじゃない? 頭おかしいわ」 ——ずいぶんと強い口調だな。 「ああ、もう!」 「なあ、どうしてそんなに怒るんだ?」 僕は気になって聞いてみた。するとさっきまでの態度と打って変わって小さく言った。 「わ、笑わないでね?」 「もちろん」 「その……世界中の人間と仲良くしたいから」 「……ん? つまり……?」 笑うも何も、何を言っているのか僕にはわからなかった。マルシュカはそんな僕を見て、言葉足らずだったと見るや続けた。 「私が魔術を極めるのは人を助けて、理解し合いたいからなの。戦争を止めたいとか大それた事は言わないわ。でも、せめてこの手でできる限り誰かを救う貢献はしたい。ただ、私は自分のできることをしたいだけなのよ」 彼女は小さく自信なさげだが、それでも瞳からは覚悟を見出した。居心地悪そうにマルシュカは 「なにか言ってよ」 と僕を睨んだ。 「感動して言葉が出なくて、すまない」 「ええ? 何それ。私の理想を言っただけよ。まだ将来の仕事とかも考えていないもの」 とマルシュカは笑った。 ---  しばらく二人で海岸沿いを歩いていると、砂浜にいろいろな物が漂着しているのを見た。魚の死骸や流木、大きいものだと樽なんてのもあった。お酒でも入っているのだろうか?  そんな中に、流木と黒い布にまぎれて何やら青黒いものが横たわっているのを見つけた。 「グリム、あれ!」 マルシュカは言い終わるよりも先に駆け出した。砂に脚を取られつつ、近寄っていく。  僕は嫌な予感がした。死体かも知れない。死体だったら面倒だ。当局に通報して取り調べを受けて書類に記述してやっと解放だ。午後が潰れてしまう。せっかくの戦勝記念の日なのに。  近づけば、やはりそれは人だった。人が倒れている。灰金の髪がほどけて顔に垂れている。凛々しく整った顔立ちをしている。僕らくらいの年齢に見える。  マルシュカはしゃがんでその女の首筋に優しく触れ、脈を測った。 「まだ脈があるわ。息もしてる」 「本当か?」 僕は驚きつつ走って近づいた。水死体だと決めつけていた。マルシュカは急いで彼女を砂浜に引っ張り上げると、濡れた服を脱がした。 「上着を貸して」 「はいよ」 僕は急いで脱いで彼女に渡した。決して安いものではないが、みすみす死なせるよりは海水と泥で汚したほうがマシだ。マルシュカはそれを受け取ると、急いで彼女に被せる。 「身体が冷たすぎるわ、暖を取らなきゃ。薪とか燃やせそうなのを捜さないと」 僕はマルシュカが脱がした女の服を見た。それは紺色の分厚い生地の襟付きで、金色のボタンがある上質な制服だった。そして襟元にはバラの形をしたバッジがついている。 「マルシュカ、これを見ろ」 「何?」 「彼女、サーベリア人かも知れない。それもかなり王室に近い地位の人物だ」 バラのバッジは王室の証明だった。僕は新聞で何度か見たことがあるし、軍にいたときも噂で聞いたことがあった。それはマルシュカも同じようで、驚いた顔をして固まった。 「ここでもし火を起こせば当局が駆けつけてくるだろう。そうなれば彼女はきっと……」 「どうなるの?」 「多分、拘束されて尋問。その後良くて強制労働だが、ひどい場合は処刑だろう」  ブタルテ連邦の統一主義はすべての人種が平等に、単一の国家、単一の皇帝、単一の党の下で統一されるという思想だ。だから党は他国の王を反動とみなすだろう。事実革命前の帝政ブタルテの皇帝は一人を除いて一族全員が処刑された。  それだけじゃない。ここ最近はドルストフの処刑や学生運動の鎮圧など、取り締まりが厳しすぎる光景を見てきた。党に道徳的配慮があるとは思いにくい。 「じゃあ、どうしよう?」 マルシュカは不安そうに僕を見つめた。 「僕の部屋がここから近い。そこに運ぼう。幸い、僕は軍関係者だから当局の捜査も入りづらいだろう」 「え、でも……いえ、そうね。それしかないわ」 僕は頷くと彼女を背中におぶった。左肩の古傷が痛んだが、マルシュカが支えてくれると楽になった。  砂浜を出て誰もいない倉庫街を進む。途中で酔っ払った軍服の男とすれ違った。 「おい、きしゃまぁ、海水浴かい?」 呂律がまわっていない。僕は笑って 「友人が酔って海に落ちたんです」 と答えた。 「程々にしとけよ、戦勝記念といって酒で死んじゃあ世話ないぜ」 僕は短く礼を言って、先を急いだ。 ---  アパートに着くと一階で箒を持つマーガレット婦人と会った。 「あら、どうしたの?」 と驚く彼女に、 「すみません、婦人。申し訳ないのですが、この後お湯を沸かして二階の僕の部屋まで運んでもらえますか? 友人が海に落ちてしまって」 「そりゃ大変だ。いいでしょう、ささ、おゆきなさい」 僕は彼女を自分のベッドに運んで毛布を被せた。  マルシュカはその間にマーガレット婦人がもってきてくれたお湯を使って、彼女の顔を拭き、湯たんぽを作ってやった。 そして最後に彼女は掌を眠る女の額に当てて 「どうか無事でありますように。どうか起きますように」 と優しく微笑みかけてつぶやいた。  その光景を不思議そうに見つめる僕に気がつくと、 「目覚めの魔法をかけてみたの。効果は交感神経の活性化。意味があるか分からないけれど、気休めになれば」 とマルシュカは説明してくれた。  それから僕はマルシュカに部屋を外すように頼まれた。外傷がないかの確認をしたかったらしい。  居間で待っているとマルシュカが出てきた。 「打撲が数カ所程度ね。内出血もしてない。擦り傷があったので、念のため簡易な治癒魔法をかけたわ。問題は体温ね。体温さえ上げられれば大丈夫そう」 「そっか、良かった。ありがとう、マルシュカ」 マルシュカは僕の隣に座ると、天井を仰いでほっと息をついた。そしてそのままの姿勢で 「ねえ、グリム。あの子、どうする?」 と聞いてきた。それは僕も考えていたことだ。 「分からないけれど、当局に通報するのは今はやめておこう。可能な限り後回しにした方が良いかもしれない。少なくとも彼女が目覚めるまでは」 「そうね、賛成よ。私もあの子を死なせたくないわ」 ——ブタルテ人民委員令第58条12項「全て報告せよ!」  でもそれは党の命令と反するのではないか?  いいやと、僕は必死にその考えを振り払い、今目の前の弱った彼女を救うことだけを考えることにした。