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「おはようございます、ガスパールさん」
「おはようございます、婦人」
いつもの朝だ。今日もマーガレット婦人は僕に朝食と郵便物を渡してくれる。
「今朝は新聞の他に、統一党からも一通封筒が届いていましたよ」
彼女は茶封筒を僕に手渡した。封筒はろうそくのスタンプが押されていて、統一党のシンボルである槍と窯が誇らしげに刻まれている。
「どれどれ」
中を開けてみると、それは新しい報告書だった。これまでは自由記述だったものが、今回は内容をかなり具体的に限定している。『大学での活動(3行)』『課外活動(5行)』『交流人物について(5行)』といったものだ。特に気持ち悪いのが『党に反抗的と思われる人物とその理由(10行)』。これではまるで、密告にノルマがあるみたいだ。こんなにバカげた話があるだろうか?
僕が苦い顔をしているのをみて、婦人が好奇心ありげに聞いてきた。
「私も覗き見してもよろしいですか?」
「ええ、もちろん。どうぞ」
と僕は彼女に封筒ごと渡す。
「あらまぁ、これはなんとも大変ですわね」
婦人はいつもの調子で、おっとりと言った。この人はどうしてこんなにのんびりしているのだろうか?
「誰を密告するのですか?」
「密告する相手なんていませんよ、僕には」
「でも必須なのでは?」
「さあ、どうでしょう?」
僕は党の報告書を忌々しく思って、カバンにガサツに詰め込んだ。
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大学に着くと、掲示板の前に人集りが出来ていた。その一角に桃色の髪の女の姿を見つけ、僕は声をかけた。
「おはよう、マルシュカ」
「あら、グリム。おはよう」
「これは一体なにがあったんだ?」
僕は目の前の騒ぎを見た。
「統一党から命令があったみたい。まだ私も見れてないから、詳しくはわからないわ」
「そうか」
マルシュカの体格ではこの行列をかき分けるのは一苦労だろう。
「僕が見てくるよ、ここで待ってて」
「うん」
僕は「すみません、ちょっと失礼します」と言いながら、人並みをかき分けた。掲示板には数枚の紙が打ち付けられている。どれも統一党の記号が書かれている。
一枚目は
『以下に該当するすべての教員の職務を解く。
魔法科学科 チェルニコフ
政治哲学科 ラーベンシュタイン
民俗学科 ザリャーノヴナ』
二枚目は
『学生諸君らは本日(魔導歴1821年5月3日)をもって、許可のない5人以上の集会を禁止する』
という短い文言だった。
僕はマルシュカのもとに戻ると、読んだ内容を伝えた。
「何よそれ、おかしな話ね」
マルシュカは顔をしかめた。
「貴方、統一党の革命軍じゃなかった? 何か知ってるんじゃないの?」
僕はかぶりを振って
「いいや、知らない。僕は単なる予備役だよ。今現在の軍の動向なんて知らないし、ましてや党の行政なんて」
と答えると、マルシュカは
「グリムはおかしいとは思わない? 五人で集まっちゃだめとか、理由もなく教員を解雇するとか変だわ」
と言った。
マルシュカの言うとおりである。おかしい。それでも僕は統一党が正しいと信じたがっていた。そしてそんな矛盾する自分に気がつくと、僕はなにも言えなくなってしまう。
僕が固まっているとマルシュカは
「もう良いわ、貴方には授業があるでしょう?」
と言うと
「私ももう行く。研究がいつまでできるか分からないから、今のうちに進めないと行けないもの。じゃあまたね」
と去っていった。
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それから月日が流れ、大学の空気は重くなる一方だった。
張り紙事件以降、僕が受ける講義は本当に退屈なものばかりになった。きっと教員が党に怯え、自分の意見を言わなくなったからだろう。彼らはすっかり教科書を読み上げるだけの、ただの蓄音機になっていた。
だが無理もない。周りを見れば、当局のスパイだろう人物が講義を監視している。怪しい学生や知識人を発見し次第、通報するために来ているのだろう。
最近は党の取り締まりが厳しすぎると誰かが言うのを耳にするようになった。当然だ。学生らは小さな声で、友人同士に不満をぶつけ合っている。だが党にバレれば逮捕される。わざわざ裁判結果の動向を調査するまでもなく、ドルストフの処刑は新聞でセンセーショナルに取り上げられていたし、町中で逮捕される人物も散見されるようになった。
ある日。僕はいつもの様に講義を受け大学の正門を出るところだった。偶然マルシュカを見つけたので、彼女の住まう旧市街まで送ろうと考えていた。
正門前には人集りが出来ていた。
「もう我々は限度を迎えた! 今こそ、我々は団結し、民主主義を取り戻すのだ!」
誰かの演説が聞こえてくる。そうだそうだと同調の叫び。
「統一党は我々を裏切った!」
「我々に民主主義と正義を!」
と言った具合で、加熱している。
「我々は抵抗をする! 賛同するものは我々に協力してほしい! そして共に戦って欲しい!」
演説する人物はこの大学の学生のようだが、集まっている人間は学生だけでない。一般の労働者や大学の事務関係者もいる。僕が以前から話したことがある、図書館の司書の男すら混じっていた。
「学生運動、ね。ルシナグラードでもあったって新聞で読んだことあったけれど、アスタルテでもあるのね」
とマルシュカは冷ややかに言った。
「そのようだね。僕も見るのは初めてだ」
最近の党のやり方にはよろしくないものがあるとは思うが、党の人間として、党に反対するような真似はしたくないし、すべきではないだろう。今日は早いところ帰ろう。
そう思って僕は校門の方へ向かう。人混みをかき分けて校門にたどり着く。すると門の向こうには、当局の車両が正門前に何台も止まっていて、銃を構えている。
『党保安委員会である。集会は禁止されている。ただちに解散せよ』
こんな場所に「お疲れ様です。お先に失礼します」などとのこのこと出て行って無事で済むとは思えなかった。
「引き返して裏門から帰ったほうが良さそうね」
「そうだね、それが良いと思う」
僕らが正門に背を向けた途端、
『繰り返す。ただちに解散せよ。三分後に強制的な措置を取る』
「黙れ! これが、俺たちの意志だ!」
——パアン!
乾いた銃声。誰かが銃を撃った。恐らく学生の一人だ。そしてこの銃声が引き金となって、当局側も銃撃を開始した。
「頭を下げろ!」
僕は咄嗟にマルシュカを掴んで、急いで近くの記念館の方へ走った。
「え、ちょっと。え?」
マルシュカは動揺している。
目の前の学生が撃たれて倒れた。僕らはやむを得ず彼を踏みつけ、記念館の石段の裏に飛び込んだ。
「大丈夫? 怪我はないか?」
「私は大丈夫よ。それより、撃たれてる人がたくさんいたわ!」
マルシュカは震えながらも倒れている彼らを助けようと飛び出しそうになる。そんな彼女の腕をぐいっと引っ張って
「だめだ、今出たら流れ弾にあたって死ぬぞ」
と壁に彼女を押し付けた。
僕はひょいと頭をのぞかせて、様子を伺う。思いの外学生側が善戦しているようだ。当局の部隊が下がっていくのが見える。数で勝る学生側が、体制を押している。これが民衆の力かと、僕はなんだか不思議な気持ちがした。
銃撃戦の最中、一台のトラックが正門前にやってきた。そして一人の制服姿の制帽をかぶった女が降りてきた。腰には一本の剣がぶら下がっている。
「え、エリシア大尉……」
「エリシア? 誰?」
「統一党の魔剣士だよ」
エリシアはゆっくりと正門に向かって歩き始めた。誰かが銃を撃っても、彼女はひょいとわずかに身体を傾けるだけで避けてしまう。そして彼女は正門のちょうど真下に立って、堂々と声を張った。
「我らは殺戮を望まぬ。今直ぐ投降せよ!」
「誰が投降なんてするか、この売女め!」
正門裏に潜んでいた学生の一人が、エリシア目掛けて飛び出した。エリシアはそれを一瞥すると、次の瞬間学生は地面に倒れ込んだ。居合切りだった。剣を抜いて彼の首を切ったのだ。
「私にいかなる印象を抱いても構わぬが、党の命令は絶対だ」
エリシアの青い目が緋色に染まり光った。
この光景を見て、学生らは叫んだ。そして銃を誰かが撃った。それをエリシアは避け、避けきれない弾は切った。そして一瞬で間合いを詰め、学生らを切り刻んでいく。
「あ、ありえないわ。銃弾は音速を超えるのよ」
マルシュカだ。僕があっちに気を取られていて、彼女も僕のとなりで頭をのぞかせていることに気が付かなかった。
「あれが魔剣士だ。一人で、正規軍人50人に匹敵するそうだ」
「そんな馬鹿な話ある?」
ある者は魔術を唱え、火炎弾を打ち込む。しかしエリシアはそれを容易く切り裂き、術者に回し蹴りをくらわせた。
そしてある者は剣を抜き、切り掛かるが、エリシアは剣ごと真っ二つに切り裂いた。
「軍にいた時、彼女はなんて言われていたと思う?」
「悪魔?」
「惜しいね。剣鬼さ。剣鬼ダルテア。そう呼ばれていた」
---
エリシアの突入で形勢は一気に保安委員会側に傾いた。学生らは統制を失い、群衆は逃げ始めた。僕らも早くここを離れたほうが良さそうだ。
壁を伝って、奥へ進む。そこへ人の流れが横から来て、僕らはぶつかった。肩を強く押され、鞄の紐が引っかかって、留め具が飛んだ。僕の中身が石畳にぶちまけられる。ノート。筆入れ。本。
だが問題は、党への報告書が入った茶封筒も地面に飛び出してしまったことだった。咄嗟に拾おうとかがむと、
「おい」
と僕の手の先、誰かが封筒を踏みつけた。
顔を上げると、四、五人がこちらを見ていた。血と煤で汚れた顔で僕を睨みつけている。僕はすっかり取り囲まれてしまった。
「軍の奨学生だ」
「密偵だ」
数人から睨みつけられる。僕は恐怖で身体が硬直するのを感じた。
「ち、違うわ!」
マルシュカが庇ってくれようとしたが、
「お前も統一党員か?」
と一人が彼女に詰め寄ろうとしたので、
「違う! 僕だけだ!」
と叫んだ。
「そうか、なら粛清だ!」
一人が僕の頬を殴った。僕は勢いで転倒してしまう。ついで、取り巻きも僕に蹴りを浴びせ始める。僕は身体を丸めた。頭を抱えて、腹を守って、終わるのを待つ。
「裏切り者め。ぶちのめしてやる!」
「死ね! 小汚い下衆め!」
罵詈雑言と共に何度も僕は蹴られる。
「やめて! やめてよ、この人は何もしてない!」
マルシュカが止めに入ろうと、一人の男に掴み掛かった。
「なんだ、女。やはり裏切り者か?」
と、彼女もまた殴られて転倒してしまう。そして男が彼女の髪を掴む。
「この女にも粛清が必要だな」
「やめろ! 彼女は違う!」
咄嗟にマルシュカを殴ったやつに飛びかかろうとしたが、背中から蹴られて地面に押し付けられる。
腕の隙間から、誰かが石畳の欠片を持ち上げるのが見えた。——それはシャレにならない。
「グリム!」
エリシアの声がした。
——どす。
鈍い音と共に、頭に激しい衝撃を感じた。殴られたようだ。血が頬を伝う。僕は力が抜けて、地面に倒れた。意識が遠のく。
「貴様ら! 武器を捨てろ!」
「う、うわああ、くるな!」
エリシアだ。彼女が助けにきてくれたようだ。僕を取り囲んでいた学生らは、抵抗も虚しくバタバタと倒れされていく。
「そんな……グリム! 死ぬな——」
意識がだんだん薄れていく。緋色の瞳が不安そうに、僕を覗いていた。
——初めて見ましたよ、大尉が泣くところだなんて。