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マルシュカと知り合った翌日。僕は午前中で大学の講義を終えると、自宅に歩いて戻っていた。この日は本当によく晴れていてとても暖かだった。
中央通りを進んでいると
「おーい、グリム!」
と声をかけられた。それは最近大衆酒場で知り合った船着き場で働くポーロンという豚の獣人だった。獣人とはかつての古代文明人が生み出した動物と人間の混血だそうで、なるほど豚のような平らで広い鼻と独特な耳をしている。
「やあ、ポーロン。今日の仕事はどうしたの?」
「今から昼食だよ。これからどこか食いに行こうとしてるんだが、おめぇはどうする?」
どうやらポーロンは僕を食事に誘ってくれているらしい。
「どこか美味しいお店を知ってるの?」
「まあ、知ってはいるが、おめぇみたいなエリート学生の舌に合うかはわからんな」
「構わないさ、どんなお店なの?」
「ここからちょっと進んだ路地にある半地下の店でな、そこは定食屋で、こってりのキャベツのシチューと絶品のパン。あとは酒が飲める。だが、今は昼間だ。代わりに紅茶が良いだろう。ジャムをつけてな」
「お、聞いたことあるよ。アスタルテでは紅茶の合わせとしてジャムを舐めるんだって?」
「そうとも。興味があるなら行こうや」
「うん、行こう!」
僕らは意気投合して、ポーロンの向かう食堂へ向かった。そこは中央通りから一本逸れた狭い路地の一角にあって、少し薄暗い。けれども人通りは多く、いろんなお店が出ている。大工や工場労働者らしい人たちが多い。そんな場所にあった。
僕らは階段を降りて、店へ入った。そこは熱気がこもっていて、とても繁盛している。
店の名前は「マルーシェチカ」だった。美味しければエリシアにもおすすめしよう。
店に入って、店員が僕らに気がつくと、彼はポーロンに親しげに挨拶する。
「やあ、ポーロン。よく来たね、彼は連れかい?」
「そうだ。俺の友人だ、良くしてくれよ?」
「もちろんさ。さ、こっちへ」
と彼は僕らを通りが見える窓の直ぐ下のテーブル席に案内した。既に何人かが座っていて、相席のような形になる。
「今日はなににする? キャベツのシチューとパンは用意してる」
「じゃあそれで。ここの学生の分もそれで。あとは飲み物で、紅茶を頼む。イチゴのジャムもつけてな!」
「分かった。それだけでよい?」
「うん、それで」
ポーロンが僕の分も注文をしてくれた。
「奢らないぞ?」
「もちろんさ、構わないよ。ところでいつもここに来るの?」
「いや、多くて週に一度くらいだな。普段は忙しいから漁港近くで済ますことが多い」
「そうなんだ。港の方はまだ2、3店舗しか行ったことないな。僕はヒーデルラント料理を出す店に行ってみたんだが、あそこは——」
「不味かったんだろう?」
「言葉を選ばずに言えば。ありゃ酷いね」
「わっははは。そうだろうとも。ヒーデルラントの食いもんで、うまいものなんてないさ」
そんな風に会話していると
「よお、グリム」
と一人の坊主の男が声をかけてきた。彼は昼間だというのに、酒瓶をもっている。彼はじゃがいもみたいな頭の形をしていて、背は高くない。手が黒ずんでいて、服は仕事着なのかちょっと汚れていた。
「君は、カットーフェンか?」
「そうとも、カットーフェン・ブロンドヘンさ」
「ん? グリム、こいつ知り合いか?」
「彼は同郷の同い年で、一緒に革命のときに志願した仲間なんだ。久しぶりだね、一年ぶりくらいか?」
「そうだね、ちょうど一年くらいだな」
「革命か、俺はおめぇと違って、田舎でひっそりくらしてたなぁ」
するとカットーフェンはポーロンに向いて
「とはいえ、俺達も後方勤務でしたぜ。ところで、えーっと、グリム。こちらは?」
カットーフェンは首をかしげた。そして僕が答える代わりに
「俺はポーロン・シュバイン。よろしく」
「よろしく頼むよ、ポーロン。俺はカットーフェン・ブロンドヘンっていうんだ」
「ところでカットーフェン、君はアスタルテで何をしてるんだ?」
「ああ、今は靴職人さ。革命が終わって、実家に帰ると親父がな、街に出て職人しろって。それで今は見習いだ。お前は?」
「僕は学生をしてる。軍の奨学生として」
「って言うと、まだ軍にいるのか?」
「予備役さ」
「でも立派なもんさ、そっか。学生か。お前は頭が良かったもんな」
そこへ店主らしき立派な髭を蓄えた男が料理をもってやってきた。
「シチュー2つに紅茶2つ。それとパンだ」
シチューは素焼きの深皿にタプタプと注がれていて、今にもこぼれてしまいそうだ。キャベツと豆、それから塩漬け肉の塊がゴロゴロと入っている。表面には油が浮かんでいて、湯気が立っている。
「これは凄い。実に美味しそうだ。こんなの実家でも軍務でも見たことないよ」
「だろう? ここは俺のイチオシだ」
ポーロンはまるで自分が作ったんだと言わんばかりに、自慢げに鼻を鳴らした。
髭の店主はそんなポーロンを見て微笑むと、今度はカットーフェンに気がつく。
「おっと、ポーロンはカットーフェンとも知り合いなのか?」
「いや、ここのグリムの知り合いだ」
「どうも」
僕は店主にお辞儀する。
「あまり見ない顔だ。どこの子だ?」
店主の質問に僕が答える前に、ポーロンが口を開く。
「聞いて驚け、こいつぁ軍の学生様だ!」
「いや、予備役です」
「将来の将軍様だぜ!」
と今度はカットーフェン。勘弁してほしいものだ。
「マジで違います。ただの学生で、予備役で、えーっと、そう。ただの学生なんです」
こんなバカげた会話を店主は嬉しそうに聞いた。
「改めてグリム、よろしく。この店は未来の将軍様にはちょいとうるさいが、ぜひともくつろいで行ってくれ」
「ええ、もちろんですとも。素敵なお店をありがとうございます」
それから僕らは三人で食事を一緒にした。カットーフェンは先に来ていて食事を終えていたので、追加で紅茶を頼んでいた。さっきまで飲んでいたウォッカのボトルは店主に預けて、また今度とのことだった。相変わらず酒に強いようで、ちっとも酔っていない。
「そういえばグリム」
「何?」
「お前の肩は大丈夫なのか? 撃たれただろう?」
「ああ、それは大丈夫だ。ほら、こんな風にフォークを持てる。とはいえ、まだたまに痛むよ」
「おめぇ、撃たれた事あんのか?」
「昔のことさ」
「信じられん、おめぇの腕は俺の半分くらいの太さじゃねぇか。そんなひょろいおめぇが撃たれるなんて」
「こんな小さな的に当てるなんて、相手は大した腕だったんだろうさ」
するとポーロンとカットーフェンはドッと笑った。
ひとしきり笑い終えるとポーロンがスープを啜りながら
「でもどうして統一党なんざに入ったんだ?」
と不思議そうに訊いてきた。
「俺にゃ理解できん。痛い思いして何になる?」
「僕は魔人だ。カットーフェンも。ポーロンも獣人ならばわかるだろ? 差別されるのが嫌だったんだ」
「俺はおめぇの緑色の目が好きだがな」
「どうも。でもみんながみんなそうじゃない。サーベリア公国では獣人奴隷が当たり前らしいじゃないか。僕の父はメタリカ帝国出身だったけれど、魔人の母と結婚すると差別が酷くて、それでブタルテに亡命したんだよ」
「少なくとも俺たちの国にゃ差別はねえぞ」
「だけど他の国はそうじゃない。僕は彼らを救いたいと思ったんだよ」
「ご立派なことで」
「そう言うわけで僕とカットーフェンは志願したんだ」
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ポーロンとカットーフェンはそれから午後の仕事へ戻っていった。お腹を満たしたし、午後はどうしたものか。今日はもう講義はないし、家に帰っても退屈するだけだ。
そこで僕はこのアスタルテの街を歩くことにした。少し散歩をして、面白いものを探そうという魂胆だ。特に中心市街はまだあまり散策し終わっていない。中央通りから更に東側、僕の家とは反対方向に向かって歩く。しばらく進むと旧市街地に出る。
道路の石畳は凸凹としていて、泥が溢れている。通りには買い物をする主婦や子ども、老人がちらほら歩いている。その一角に興味深い店を見つける。通りに面した出窓には木彫りの人形が置かれていて、中には本が天井まで高く積まれている。古本屋だ。
階段を上がって扉を開けると、老人がカウンターにて新聞を読んでいて、目線だけをちらりとこちらによこすと、活字に戻った。店内は大きな本棚が所狭しと並んでいて、そこに本が無理やりに積まれている。縦に並べるだけでなく、隙間に本を無理くり差し込んでいる。溢れ出たものは床にさえ積まれていて、少し歩きづらい。
「あれ、グリムじゃない」
と、そこにはマルシュカがいた。頭に深緑のスカーフを巻いていて、目立つ髪を隠している。声をかけられるまで気が付かなかった。
「やあ、マルシュカ。今日はどうしてここへ?」
「見ての通り本よ。私の好きなドルストフという作家の小説を求めて来たの。リアリズムと人徳主義の作家ね」
「へえ、君は小説を読むのか」
「ええ、とっても。文学は素敵よ。私は文学に何度も救われて来たわ」
マルシュカは一冊の本を手に取る。それはドルストフの『人生と誇り』というタイトルだった。
「そういえば、グリム。貴方はどうして?」
「特に用事はなくて、ふらふらと入ってみただけなんだ。せっかくだし、僕もそのドルストフを読んでみようかな?」
「なら貴方にこれを」
とマルシュカが買おうとしていただろう、本を渡してきた。
「え、君が買うつもりだったんだろう?」
「ううん、違うわ。たまたま実家で昔読んだ本があって、懐かしくて見てただけだから」
「そうか、ならありがたく読ませてもらうよ」
「私はまだ読んだことない本を求めて来たんだけれど、やっぱり人気作家ね。ここにはなさそう」
「そっか、残念だ」
「ううん、良いのよ。それより、今度その本の感想を聞かせてちょうだい」
「もちろんさ」
僕らは本の勘定を終えると、通りに出た。
「ところでマルシュカはこの後、なにか予定はあるか?」
「いいえ、今日のところはないわ」
「なら、喫茶店にでもどうだ?」
我ながら大胆だ。僕は彼女とお近づきになりたいと思って、誘ってみた。
「大学の方、僕の住まいの近くにあるんだよ」
「ふーむ、そうね。せっかくだし、たまには外食も悪くないわ。良いわよ、行きましょう」
よっしゃー。
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そういうわけで僕たちはマーガレット婦人のアパートの向かいにある、喫茶店に来た。ここは僕が婦人に勧められて知った店で、世界中の茶葉を取り揃える珍しい場所である。店に入ると中は暖かく、カウンターの向こうの棚にはたくさんのマグカップが並んでいる。カウンターには店主と思われる初老の男が一人、カップをみがいている。
「いらっしゃいませ」
と僕らは案内されて、一角の席に座る。僕らはコートを脱いで、マルシュカは頭のスカーフも脱いだ。桃色の三つ編みで出来たお団子が姿を現す。
「おすすめは先月入った大煌帝国の夏摘みの烏龍茶と、マンガラ帝国産のバラの香りがする紅茶。それから当店自慢のアップルティーがあります」
「では僕は烏龍茶を」
「私は、そうね、悩むわ……。せっかくですから、アップルティーをお願いします」
「かしこまりました。それからお茶請けはいかがでしょう? 当店では蜂蜜と香辛料の焼き菓子、ジャムとスコーン、それからパンケーキを用意しています」
「僕はスコーンを」
「では私はパンケーキをお願いします」
「かしこまりました」
店主が戻っていくと、マルシュカが感心したように言う。
「こんな贅沢なお店、アスタルテに来るまで見たことなかったわ」
「君の出身はどこだったか?」
「山脈の方の農村よ。生まれてこの方、ずっと故郷じゃ配給制だったの。お茶だって種類があるなんて本でしか見たことなかったわ。アスタルテは本当に田舎とは違うのね」
「そうだね、そうかも知れない」
僕の故郷カナンはアスタルテから列車で二時間ほどだ。マルシュカの故郷ほど困窮していなかった。革命軍の補給基地になったおかげというのもあるかも知れない。
「おまたせしました」
と僕らの前に、豪華なお茶が並ぶ。ティーカップは僕らのイメージカラーを店主が選ぶ形式のようで、僕は緑のツタと青い蝶のあしらわれた落ち着いた色のカップ、マルシュカにはヒマワリが伸び伸びとした可愛らしいカップが割り当てられた。
僕らは店主に感謝を述べると、お茶に手をかけた。マルシュカは一口パンケーキを口へ運ぶと、無邪気そうににっこりと微笑んだ。そして僕の目線に気がつくと、恥ずかしそうにして取り繕い、そしてボソリと
「……悔しいけれど、美味しいわ」
と言った。あまり表情の変化を見せないマルシュカが笑ってくれたのが嬉しくて、自然と僕も笑顔になる。
「よかった、気に入ってもらえたのなら僕も嬉しいよ」
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「今日はありがとう」
「こちらこそ、ありがとう。また大学で会いましょう」
「ああ、また大学で」
喫茶店を出るとマルシュカはスカーフを頭に巻き直して、中央通りの雑踏の方へ消えていった。僕はマルシュカと少しは仲良くなれたようだ。文学とパンケーキ、いや、おそらく甘いもの全般が好きなことを知れた。嬉しい。
ふとマーガレット荘の方を見ると一台の黒い自動車が止まっているのが見えた。運転手が窓を拭いている。僕は胸にざわめきを感じて、急いでアパートの中に入った。
するといつも通りおっとりしたマーガレット婦人が掃き掃除をしていて、驚いた風に僕を見た。
「なにを慌てているのです、ガスパールさん」
「てっきり僕は秘密警察がやってきたのかと思って」
「来ていますよ。でも捜査ではなく、お客人としてお越しです。客間でおもてなししていますよ」
と言うと、彼女は奥の方へ入っていき、
「ガスパールさんが、戻りましたよ」
という声が聞こえてきた。すると直ぐ足音が近づいてきて、やってきたのは制服姿のエリシアだった。制帽を右手に抱えている。
「こんにちは、グリム」
「え、エリシア大尉。どうされたのですか?」
「何、仕事帰りさ。ちょっと寄ったんだ。ところで、その手にもっている本はなんだ?」
「これですか? 小説です」
「作家は?」
「ドルストフです」
そう答えると、エリシアは目の色を変えて、僕に近づいてきた。そして息がかかるほどの耳元で小さく
「捨てておけ。それはたった昨日から禁書になった。私の任務はその小説の押収だったんだ。今日来たのもお前にそのことを伝えるためだ」
「え?」
「知らんのか、先日発売された『黒と白』という作品が同志ブラネファの容姿を揶揄した体制批判の本だったんだ。二時間ほど前に、ドルストフ氏は逮捕されて、今は留置所にいる。お前まで逮捕されるぞ?」
「今はそんなに党は敏感になっているのですか?」
「ああ、文学界は今や弾圧対象だ。大学にも近々捜査で行くことになってる。その時はお前にも手伝ってもらうぞ。焚書だ」
「なんてことだ」
僕は言葉が出なかった。マルシュカのことが頭に浮かんで、離れなかった。