幸者堂
亡国の王女

第1章 ブタルテ連邦アスタルテ市にて · 第01話

グリム・ガスパール

 小鳥のさえずりで目が覚めた。僕は眠気を感じつつも、自分に鞭打ってベッドから這い出る。桶に水を入れて顔を洗って寝癖を直す。髭を剃ってから着替えると、ちょうどドアをノックする音がした。 「おはようございます、ガスパールさん」  入ってきたのは僕の住まうマーガレット荘の主人、マーガレット・イワーノブナであった。 「おはようございます、マーガレット婦人」  彼女が両の手で持つトレーには、キャベツと干し肉のスープとパンが乗っている。婦人はいつもの様にテーブルに朝食を置くと、 「今日は党への報告書の日ですよ、準備できていますか?」 「はい、大丈夫です。ありがとうございます」 そう答えると僕はパンを咥えて、昨晩に慌てて書いた報告書に再度目を通す。そこには僕の軍からの奨学生として書くべき内容、つまり普段の生活様子、成績、大学での活動内容等が記載されている。まだ入学して一ヶ月というのに、中々に濃い内容だと自賛する。  マーガレット婦人は僕の向かいの席に座ると 「ところで、どうです? アスタルテの街は?」 「もう4月になりますのに寒いですね、北風が冷たいです」 「そうでしょう、そうでしょう。冬は雪はたんまり積もるし、港も凍って輸入品が減る。一番困るのは水道も凍って使えなくなることですよ、オホホホホ」 と婦人は嬉しそうに苦労ばなしをする。 「でも面白いですね、人がたくさんいて。この間は友人が一人出来たんですよ」 「それは同じ大学で?」 「いいえ、ちょっと行った先の大衆酒場で知り合った港で働く同い年の男です」 「そうですか、それも報告書に?」 「ええ、そうですね。僕の生活はすべて報告せよと言うのが党と軍からの命令ですから」 「面倒ですね」 と僕らは苦笑した。  食事を食べ終えると 「美味しかったです、いつもありがとうございます」 「いいんですよ、ガスパールさん」 と感謝を告げ、僕はコートを着込んだ。 「では行ってきます」 「お気をつけて」  婦人と一緒に部屋を出て階段を下って、それから表の通りに出た。 ---  マーガレット荘は連邦の首都アスタルテの中央通りから一本逸れた場所で、にも関わらず静かで住みやすい地区である。港から引き下ろされた荷物を運ぶ馬車が、早朝から街の中心地の方へ向かって行くのが何度か見られた。  僕はそんな彼らと同じ方向へ向かって歩いていく。中央通りを渡って、宮殿の方向へ行くと7階建ての白いレンガの大きな建物が見えてくる。窓から垂れ幕が掲げられ、『全国の人民のための、一つの国家、一つの党、一つの元首』と書かれたスローガンが見える。これはかつて帝国時代に作られた地方貴族のためのホテルだったそうだが、革命後に党が接収して今は事務所になっていた。  僕はそんな建物に入って、入口直ぐにあった受付に声をかけた。 「おはようございます、エリシア・ダルテア大尉は今、どちらにいますでしょうか?」 「ダルテア大尉は今はちょうど出られております。少しお待ちいただければ」 と彼が言いかけたタイミング。僕の背後から声をかけられた。 「おはよう。グリム」 振り返ると、見慣れたスラリとした背の高い、サラサラとした肩くらいの長さの黒髪の制服姿の女が立っている。  青い目がニコリと僕を見て笑いかけている。 「エリシア大尉!」  彼女はエリシア・ヴィッシ・ダルテアといい、革命時の僕の上官であり、先輩のような人物だった。美しい見た目と豊富な知識を有するだけでなく、魔法と剣を使いこなし、数多の戦場を制圧してきた、まさに文武両道を地で行く女だ。  そんな彼女だから、党からも高く評価されている。まさに彼女は僕の憧れであった。 「ちょうど朝の見回りに行かされていたところだったんだ。また不法な集会が開かれていたのを逮捕しなくてはならなくてな。全く、軍から内務省への出向かと思えば、やってることは秘密警察の実働部隊と変わらんとはな」 エリシアは自嘲するように笑うと、ふと思い出したように不思議そうに首をかしげる。 「ところで今日はどうしてグリムがここにいるんだ?」 「それは今日が軍の奨学生の報告書提出締切日だからです」 僕はカバンから報告書を取り出す。 「ああ、そうか。そうだったな。話を聞かせてもらおう。おい、二階の第一談話室は空いているはずだったな? 使わせてもらう」 「大丈夫です、どうぞ」 エリシアは事務の男にそう言うと、 「行くぞ」 と僕を案内し、二階の最果てにある小さな部屋へと案内した。  そこはふかふかなソファと膝ほどの高さの机しかない質素な部屋で、窓からは中央通りの喧騒が聞こえてきた。  僕らは向かい合って座るとエリシアはゆっくりと報告書を読み始めた。 「悪くないが、この大衆酒場の報告はいらんな。学生生活から外れる」 と胸元から万年筆を取り出すと、シュッシュと斜線を引いた。 「うむ。それ以外は良さそうだな。このまま上層部に報告しよう」 「いつもありがとうございます」 「義務を果たしているだけだ。グリムを大学に行かせるように働きかけたのは、他でもない私だからな」 「いつもありがとうございます」 「お前は優秀だったからな。故郷のカナンだったか? そこにいた時から、優秀だったと聞いている。お前には将来期待しているんだ。だから当然のことをしているに過ぎん」 「勿体無い言葉です。身に余る厚遇に感謝しています」 エリシアは困ったような恥ずかしがるような顔をした。 「ところで法学はどうだ?」 「面白いです。講義では様々な時代や王朝の法治を比較できて楽しいです」 「そうか、それは良かった。ところで法学以外にはなにかやっているか?」 「それは自主的なクラブ活動のようなものでしょうか?」 「いや、そこまで仰々しくない。自分の専攻以外の科目を履修してみているかと聞いたんだ」 「でしたら、魔術の本をちょっとだけ読みました。近代国家間の戦争ではあまり使わないかも知れませんが」 「他には?」 「いえ、それだけです」 「そうか。ならぜひとも魔法以外にも軍事を学んでおいてほしい。おすすめは『ヴァルキリー将軍の砲兵学』だ。近代の戦術が体系的に書かれている」 「え、えっと。どうして僕がそんなものを?」 僕は理解できず首をかしげた。するとエリシアはグッと身体を近づけてきて、小さな声で答えた。 「あまり大きな声では言えないのだが、近々戦争が来るだろうと目されている」 「そ、それはメタリカ帝国とですか?」 「いや、それはもう少し先だろう。だが、必ず。党は戦争の準備を少しずつ始めている」  僕は釈然としなかった。僕は革命が終わって平和な時代が来るのではないかと思っていた。我がブタルテ連邦が国際的に安定しているわけではないにしても、彼女のように恐れるのは少々神経質なのではないかとすら思えた。  そんな僕の内心を読んでか、エリシアは続ける。 「今は学生生活を全うすれば良い。だが大学を卒業したら軍に戻れ。おそらく将校になって私と仕事をしてもらうだろう。期待しているぞ」 「はい」 それから思い出したように彼女は続ける。 「そうそう、学生生活には気をつけろ。最近党の規制が強くなってきている。私も今朝は学生らの集会を襲撃してきたばかりだ。抵抗もあったが、速やかに鎮圧された」 僕は驚いて彼女の格好を改めて観察した。シワ一つない。剣鬼ダルテアはいまだ健在のようだ。 「同志ブラネファ、つまり書記長は党の基盤を安定させるべく、高官や高級将校すら含めた粛清を進めている。くれぐれも変な真似はしないように。頼むぞ、お前が死んだら私は悲しいよ」 「はい、ゆめゆめ気をつけます」 ---  エリシアへの報告が終わると、僕は事務所を出て中央通りに出た。今日は大学の講義はない日だったが、せっかくだ。エリシアに言われた軍事学を学ぶためにも図書館に行こう。  アスタルテ大学は中央通りから20分ほど歩いた場所にある。僕は図書館に入った。革命前からある歴史ある建物で、宮殿か、あるいは神殿のように豪華な装飾がなされている。しかし古いためか窓が小さく、日光はわずかしか入ってこない。どうも薄暗く、かび臭く思われた。もっとも、そのほうが本の保存には適しているかも知れない。  僕は司書に声をかけた。 「こんにちは。『ヴァルキリー将軍の砲兵学』というタイトルの本を探しているのですが、どこでしょうか?」 「少々お待ちください」 と彼は手元の本をペラペラとめくった。そしてあったあったと言うと 「Fの1769番ですね。2階の本棚です。わかりますか?」 「はい、もう大丈夫です」  僕は図書館の奥に向かって歩き、階段を登った。踊り場にはブタルテ連邦の偉大なる将軍の胸像が鎮座しているのを一瞥し、歩みを進める。  図書館は静かだ。アスタルテという大都市の中心部にありながら、こんなに静かな場所があるのかと驚いた。ここでは統一主義を唱える演説も銃声も、あるいは政治運動の暴動もない。当たり前だけど。  目的の本棚は僕の背丈の二倍ほどの高さで、天井まで伸びている。その中に背表紙で『ヴァルキリー将軍の砲兵学』という本を見つけた。だが届きそうにない。見渡せば、脚立がある。  僕は脚立を運んでお目当ての本の前に置く。登る。しかしまだ上だ。僕は何気なく左手を伸ばす。  ずきり。痛っ!  左肩が痛んだ。咄嗟に庇ったところ、 ——どしん。 あまりの衝撃に目が回った。  ああ、僕は脚立から転倒したようだ。頭は打たなかったが、胸を打ってしまった。 ——ひゅうひゅう。まともに息ができない。  僕は自分に落ち着くようにと言い聞かせながら、胸に手を当てた。冷や汗が頬を伝う。 「ねえ、大丈夫?」  不意に声をかけられた。見上げれば、桃色で長い三つ編みの髪型をした、背が低く顔立ちにもどこか幼さの残る女の子が立っていた。 「あ、ああ。大、丈夫だよ」 「嘘」 と彼女はしゃがんで僕と同じ目線の高さになって、背中を擦ってくれる。背中から手の温かみを感じる。  一分もしないうちに、僕の呼吸は落ち着いた。 「ありがとう、落ち着いてきたよ」  僕は、落ち着いて彼女を観察する。彼女は顎も鼻も口も小ぶりで、個々のパーツには強い特徴がないが、よく見れば整った顔つきだ。真紅の瞳がじっと不安そうに僕を見つめていた。 「左肩、痛むの?」 「え?」 「見てたの」 「いつから?」 「脚立をもってくるところから。以前、貴方を特待生の集まりで一度見かけたから、目で追ってたの。そしたら、こんな倒れ方をするものだから……」 彼女は気だるげに、けれど高く可愛らしい声で答えて僕の肩に触った。 「変な庇い方してたわね。見せて」 「いや、大したことないよ」 「見せて」 ——これは断れないな。と僕は彼女に身を預けた。  彼女は服の上から確かめるようにゆっくりと指圧してきた。 「驚いた……貴方。まさか銃で撃たれたことあるの?」 彼女は目を丸くして僕の顔を見た。 「まあね、以前は革命軍に参加してた。後方勤務だったけど撃たれたよ」 「凄い……初めて銃創を診たわ」 「良い教材になったのなら、撃たれた甲斐があったよ」 「ずいぶん余裕そうね」 彼女は呆れた様子で苦笑した。 「初めまして。僕はグリム・ガスパール。法学部に通ってるんだ。君は医学部かい?」 「私はマルシュカ・ドルマン。学部に所属してなくて、直接研究室に配属されてるの。残念ながら専門は医学ではなくて、神経科学と精神魔術よ」 「よろしく、マルシュカ」 「よろしく、グリム。もう立てそう?」 「まあね。君のおかげで」 「何もしてないわ」 僕は彼女の手を借りて立ち上がった。立ってみると、やはり彼女は背が低く、僕の胸元くらいの身長だった。 「ずいぶん小さいんだね」 「失礼ね」 「ごめん。話してみると見た目よりずっと大人びてるんだなって思ったんだよ」 「ならそういえばいいじゃないの」 とマルシュカは僕の脇腹を肘でつついた。くすぐったかった。 「ところで、貴方が取りたかったこの本、軍事関連ね。でも法学生では?」 「そうなんだけれど、僕は一応は予備役でしてね。軍に認められて学生をしているんだ。だからこういったものも学べって言われてさ」 と答えると、マルシュカは怪訝そうな顔をした。僕は彼女は統一党に好意的でない人物なのかもと思った。 「失礼、あまり驚かすつもりはなかったんだ」 するとマルシュカはハッとして 「ごめんなさい、変な顔してたわね。ごめんなさい。最近の党の規制が厳しくて、それでちょっと怯えてただけなの」 と答えた。怪しい集会のメンバーだったりするのだろうか? 「言っておくけれど、貴方が思ったのとは違うわよ。私は別に政治には興味ないから」 僕の心はお見通しのようだ。 「もう私は行くわ。本の続きを読みたいし」 と彼女は自分の荷物の置かれたテーブルを指さした。 「そうか、さっきはありがとうマルシュカ」 「良いのよ、またねグリム」 「またね、マルシュカ」  彼女はまたねと言ってくれた。なんだか嬉しかった。  だが同時に、僕は次回の報告書のことを思い出す。僕は彼女のことを書かずに済ませる方法について考えずにはいられなかった。