幸者堂
文芸部の日常

第5章 冬原智雪の孤独な青春 · 第02話

些細な幸せ

 それは秋の日で、木枯らしと枯れ葉の美しい日だった。  文芸部の部員はいつも必ず全員が揃うという訳ではない。今日は私ただひとり、文芸部の部室にいて『西部戦線異常なし』を読んでいた。文字の向こうに見える第一次世界大戦の戦場に恐れつつ、その巧みな表現技法に感心していた。  外からの野球部やサッカー部の掛け声、部室の時計のチクタクというリズム、廊下より明るい談笑が聞こえてくる。耳をすませば吹奏楽部の演奏がかすかに聞こえる。  私は本を閉じて立ち上がる。窓から見える河辺の桜木は紅葉に染まっていて、春だけでなく秋でも美しいのか、と嫉妬をしてしまう。  ふと思い立って、外の空気を吸いに出た。その日は秋にしては寒々とした日で、ブレザーを羽織らずセーターだけで出てきたことを少しだけ後悔した。  目の前に幸せそうに帰宅する男女の二人組を見て、——自分で言うのもあれだが、私は才色兼備なはずなのに——と思う。  思い起こせばキリがない。小中学校時代は毎学期ごとに表彰され、試験では常にトップ。私を誰もが認めた。ある者は称賛し、ある者は嫉妬した。それは高校に入ってからも同様で、いかなる試験であろうと私を超える者はいない。  それに 「冬原さん、好きです! 付き合ってください」 と交際を申し込まれることも毎月と言って良いほど頻繁で、 「ごめんなさい、私は貴方の事が好きじゃないの。だからお断りするわ」 とその都度断る。  さりとて私も動物、それなりに性欲があるからか、異性と交際してみたいと思うことがあるのだが、一向に理解しあえるような相手は現れない。  試しに以前、告白してきた男子と付き合ってみても、どこか見下してしまって長続きしなかった。そして、告白を断るのは辛いけれど、別れを切り出すのはもっと辛いと思い知らされるのだ。  やがて私は全く恋愛をしなくなった。  全く、青春なんて存在しないじゃない……  そんな風に考えていたのだが、最近好きな人が出来た。同じ文芸部の石宮君という男の子だ。彼は特別優れた人物と言うわけではない。だが彼だけが私を”鑑賞”してくれるんじゃないかと、勝手に思っているのだ。期待しているのだ。  だが、彼はもう……そう、すでに”パトロン”なのだ。 「よう、冬原」 その時不意に石宮君が本校舎の方からやって来た。 「何してるんだ?」 「あら石宮君。空気を吸ってたのよ」 すると彼は訝しむように 「なあその格好、寒くないのか? 今の気温、13度だってよ?」 と、彼はスマホの画面を見せてくる。 「……寒いわ」 「なら戻ろうぜ」 と、部室棟に入る。  部室へ向かう途中、並んで話す。 「今日、どうして遅かったの? てっきり来ないかと思ったわ」 「日直だったんだよ、それと清掃」 「そう……」 「遅くなってしまって、すまない」 「いえ。文芸部の活動なんてあってないような物だし、遅く来たって別に良いのよ?」 「まあそうなんだが、やっぱりやるからにはルールを遵守した方が良い気がしてな……」 「遠野君なら『それって、奴隷道徳って奴だよ、誠司く~ん』って言うでしょうね」 と私が真似ると、 「ワッハッハハハ!」 彼はゲラゲラと笑って 「似てる……クスス」 と満足してくれたようだ。  それから私と石宮君は部室に入った。そこからはほとんど話さずに、それぞれが好き勝手に本を読んで時間をつぶした。  不意に 「……そろそろ帰ろうぜ」 と石宮君が言った。腕時計を見れば、六時を回っている。  こんなに時間が経つのが早いなんて…… 「そうね」 と、私はブレザーを羽織る。私たちは荷造りをして、最後に部室の戸締りをする。 ♢  部室棟の階段を下って、それから校門に出る。 「なあ、冬原」 「何?」 「腹が減ってしまってな。すまんが、寄り道しても良いか?」 「平気よ」 と彼はとある和菓子屋に私を連れて入った。 「こんにちは」 「あら、誠司君、こんにちは」  そこには高齢の女性が座っていて、店内は暖房が効いて暖かい。カウンターには美味しそうな大福や団子、月餅などが並んでいた。 「石宮君、ここは……?」 「見ればわかるだろ、和菓子屋さ」 「普段来てるの?」 「まあね。甘いのはあまり得意じゃないんだが、和菓子なら食べられるんだよ」 と、彼は嬉々として店の奥へ進んでいく。  彼に続こうとした時、 「ねぇ、お嬢さん」 と店主に止められた。 「はい、なんですか?」 「学校は楽しいかい?」  こういう質問は頻繁にされるものだ。私はいつも通り愛想笑いを浮かべて 「ええ、楽しいですよ」 「いや、違うね」 しかしながら、老婆は私の目を覗き込見ながら言う。 「私には分かるよ、お嬢さんが不幸せなことくらい。なぜだい? 一体何に苦しんでるんだい?」 「いえ、私は……」 「おばあさん、どうしたんだい?」 石宮君が心配そうにして入ってきた。 「誠司君、この子とどういう関係なんだい?」 「単なる部活仲間だよ、おばあさん」 「本当に?」 と、今度は私に聞いてくる。 「ええ、そうです」 「そうかい。いや、変なこと言って悪かったねぇ。アタシも老いたもんで、若者の考えている事が分からないよ」 とケラケラ笑う。 「何だ、おばあさん、冬原が何を考えてると思ってたんだ?」 「なあに、つまらない事さ。で、何買うんだい? 今ならみたらし団子に豆大福付けるよ」 「ほ、本当か? ならみたらし団子買うよ、二本!」 「はい、まいど」 ♢  店を出ると、すっかり辺りは暗くなっていた。車のヘッドライトが眩しい。 「ん、これ」 と、石宮君はみたらし団子を私に差し出してきた。 「え?」 「さっき俺、二本買っただろう?」 「それは貴方が食べるのだと……よっぽどお腹が空いてるんだなと思ってたわ」 「なわけあるか。さ、食ってくれ。一人じゃ食べきれん」 「でも悪いじゃない」 「この後夕飯だってあるんだ、頼むよ」 「そういうことなら、ありがたく頂戴するわ」  一口食べてみると、そのみたらし団子は暖かだった。思わず頰が上がる。 「団子って温かいのね」 「作りたてだとそうだろうさ」 「へぇ! 知らなかったわ、いつも既製品のものしか食べてこなかったもの」 「ほほう、なら気に入ったんじゃないか?」 「ええ、とっても!」  あのおばあさんは私を不幸だと思ったらしい。でも、私にだって幸せはある。こういう些細な幸せが。